浅草のそら

浅草のそら

なので、これです。
ご近所さんにいただきました。

昨年の花祭りと比べれば、あぁ。。。。やっとここまでかと思わされます.
昨年の恐ろしい高毛は生涯忘れません。

これが早朝の光景なら納得できる。だが残念なことにこれは人が一番混まなければいけない時間帯ときた。しかも灌仏会。仏教での最大行事となるはずのお祭りの真っ最中なのだ。

道行く人もあっけにとられていた。

花祭りの仲見世
2020/4/8伝法院通りから宝蔵門を望む
2020/4/8 仲見世 雷門を望む
Hほほうほ

この状態とまではいかなくとも、本来の花祭りの境内を知る人には今年の様子も五十歩百歩。

いつになるのだろう。かつての賑わいの浅草に戻るには。。。

来年かな。再来年かな。。。

浅草のそら

近くの空き地で昨日からドッコンドッコンと地響きを轟かせながらボーリング調査をしている。小さな機械で作業している割にはけたたましい音と振動を発する。

他の人にはあまり気にならないようだが、砂上の楼閣ではないが、念珠堂のあるこの土地はえらく響く。

興味津々で、囲いもせぬままオープンで作業している作業員をずっと観察していた。

自分も40年前にはあんなことをやっていたこともあったんだな。。。そのうち足元にボーリンして上がったコアが置かれているのに気がついた。近寄って作業の邪魔にならない程度に話しを切りだした。

何かいいものでますか?

きょとんとした顔をしながら、「いや貝ばっかり出るよ」

ここらだと30mは掘らないと岩が出ないでしょう?

「いや40mだね」

見てもいいぃ?

人の良い親方は仕事を理解してくれていると思ってか、快く見せてくれた。

17mとマジック書きされたビニール袋の中に押し出されてひしゃげた土くれが入っていた。どれも暗灰色の砂礫泥岩で十分水を含んでいる。隅田川が近いとは言え地下水となって砂礫層を通してここまで浸透しているのだろう。細かい貝殻の化石が含まれているのも見られた。

奥州征伐に出陣した源頼朝の軍勢は目の前の江戸通りを北上し今の白鬚橋上流の河岸から船で千葉に渡った。つまり目の前は決して狭い川ではなかったということ、川というより干潟のほうがぴったりくる。軍勢を運ぶのだから吃水が取れるほどの水深があったのだろう。まさに航路である。

観音様が隅田川より揚がったのはそれよりさらに500年遡るのだからここは海岸ペリであったと想像するのが順当だ。歩きやすい海岸端が締固められ徐々に往還となっていったのだろう。道で縁切りされたとは言えもとは海岸もしかしたら。。。もしかすると。。。40m下の層には塩基反応があるのだろうか。おもしろそう。

また邪魔しに行ってみようかな。

浅草のそら

昭和天皇のお言葉に雑草という草はないというけど、雑にしても生きる草と理解したい。

だれが好き好んでこんなところに種を蒔く者がおろうか。ほんのわずかな土埃が寄せ集まった掃き溜めに活路を見値をほばしてゆくのだ。考えたら恐ろしいくらいだ。毎年毎年この場所にはひとにぎりのたんぽぽが芽を出す。わずかひと株ふた株の時から記憶にある。もう群生しているといってもいいんじゃないだろうか。

またそろそろ種を飛ばしていくんだろうね。。。

雑草になろう。。。

浅草のそら

昨日のです。忘れることが多くなったわぁ。。。

浅草のそら

墨田公園の土手の桜は近年大胆ほどの枝払いが行われていて、空を覆うように伸ばしていた桜の枝たちはものの見事に消えてしまった。

原因はアメリカシロヒトリなどの病虫害の影響のように聞き及ぶのだが、さすがに景観の変化はどこか今の時代を見透かしているようで、少しばかり物足りない。

恥ずかしながら、桜が桜としての美を感じさせてくれるのには、花の咲き誇りかたもあるが、ピンクの花弁に目を奪われて忘れがちなそれを装う土台となる、伸びやかな枝の姿が花以上に重要なことに、ようやく気がついた。庭師の兄ちゃん達には何を当たり前なことをと笑われるのがオチだろうが、心底、桜の枝っぷりが花以上に重要だということに気がついたのだ。

桜の花は綺麗さ。

けど目を釘付けにし頭の中を空っぽにしてくれるほどの感動を与えてくれるには、木の姿、樹相が乱れていては心に響くものが半減してしまう。

繊細なほどに伸びて空を覆い隠すほどの枝の乱様のなかに清楚な色が乗っていく美しさに目を奪われるのではないか。

枝どころか幹を切り落とされても健気に生きる努力をする桜たち。

根っこのさきはたぶん写真を撮ってる地点まで伸びているのだろうなぁ。

途中龍の背のような根っこの一部を地上に表し、さらに先へ先へと大地に深行していく。

なんだか感動した。