ニッケルの錫杖はもう手に入らなくなりますが、最後の一本で音だけ残しておきました。
別上品の錫状の音です。
一般的な
焼き入れを施した別上品の音です。
固さを増すのでシャリーンとした感じの音が良いですが、焼き入れなしと比べるともろくなるのは致し方なしということでしょうか。
携帯錫杖もどうぞ。
小さくて軽いのが利点の携帯錫杖ですが、音の重みは軽くなりますね。鳴金を使っていることで響きはいっちょ前ですが。
あと並品もありますが、手元にないので不参加です。
ニッケルの錫杖はもう手に入らなくなりますが、最後の一本で音だけ残しておきました。
別上品の錫状の音です。
一般的な
焼き入れを施した別上品の音です。
固さを増すのでシャリーンとした感じの音が良いですが、焼き入れなしと比べるともろくなるのは致し方なしということでしょうか。
携帯錫杖もどうぞ。
小さくて軽いのが利点の携帯錫杖ですが、音の重みは軽くなりますね。鳴金を使っていることで響きはいっちょ前ですが。
あと並品もありますが、手元にないので不参加です。
令和の改元にあわせて始まった四国お遍路での御詠歌御影授与。 (令和元年5月1日~令和3年12月31日)
弘法大師という諡(おくりな)が時の天皇より賜ってから今年で千百年という。
記念して、令和三年までの間にお遍路をされ納経をされると授与される。
各札所で授与される御影、その一枚一枚を一つにまとめさせていただいた御影額です。
一枚一枚を裏打ちして連結し額装させていただきました。
2000年のプレミアム年の時には各寺院のご本尊の種字(梵字)の御影がありましたが今回は御詠歌が顕されています。
特に苦心部分は御影の合わせ面には筋が見えてしまいますので、細い金箔をつなぎ目部分に丁寧に押して(貼って)上品さを失わないようにしています。納経帳より掛け軸タイプの納経軸は圧巻ですが、こうした御影額もなかなかだと思いませんか。
朝にいらしてくださったお客様。
八八ヶ寺を御夫婦でお参りされたということでつい立ち話。
「よくわからないことばかりでしたが巡ってきたんですよ」
とのこと。車で巡ってこられたので歩き遍路の方を追い抜くとき、その度に申し訳なくて心の中で謝りながらいたという言葉の中にこの方の誠実さが伝わる。
よくよくお話してみると、22歳で急死された息子さんのためにお遍路に飛び出したのだという。
仕事を共にし出しもう引き継げると思っていた矢先だったという。突然のできごとにご両親の狼狽ぶりが伝わってきてしまう。
じっとしていると狂いそうになってしまうんです。
目頭が熱くなるのをどう鎮めたらよいものやら・・・
ちょうど昨日にご主人の急死のあと、遺志を継いで家族で十数ヶ寺を巡ってこられたお話を伝えさせていただいた。
「そんなこともあるんですね・・・」感慨深げにうなづいてくださった。
そんな心の重荷を背負いながら巡り、お大師さまに、旅先での人との触れ合いの故に僅かづつ重りを削ぎ落としていくんだな。。。決して悲しみは消えることではないのだけれど、落ち込んだ心の天秤の反対側にプラスの心が蓄積してバランスを戻してくれる。。。これがお遍路であり、観音霊場参りなんだなぁ・・・。
木馬館に観に行かなくちゃ。
令和の改元となり平成と新元号のどちらをも記帳していただくことで御朱印を頂くことの話題があちらこちらで沸騰していた。
中には不届きものが混じっていてお参りした証の御朱印を商品の如くに扱い、仕入れに来たかのように神社仏閣に請求する輩がいるらしい。
ここ浅草においても神社が三社祭りの御朱印を中止する事態にまで発展した。これもブームとしての御朱印集めに対する負の文化と言えるのだろうか。
だが、ここらが、潮目の変化にならないだろうか。
TONはコレクターである。人一倍のコレクター精神が旺盛だ。が、卒業した。卒業してみると本当にサバサバする。清流が心の中を洗い流してくれるそんな感覚がある。
だからコレクターの気持ちもわかる。ただ、現代はコレクションの枠をはみ出して、いや。そもそもコレクションしないのである。横流しするのである。利益を乗っけて。
だから神社仏閣に御朱印をいただきに上がるのも、お参りが種目的ではなく仕入れに行くのである。商売だ。
そろそろ変化しないかな。。。
代理遍路。
お遍路を歩けない方のために知人や友人、長じてビジネスへとなってきて、聞くと、なかなかの代価を伴うと聞く。
今日来店されたお客様が高野山の場合どこに行けば御朱印を頂けるのかと店の子に尋ね答えに窮してTONにお鉢が回ってきた。
同世代くらいのご婦人。ちょっと上かな。
「何にもわからないんですよね」
そう言われて四国を結願されたなら、それくらいの情報は入手されておられるだろうに・・・とちょっと?に思った。
「亡き主人のやり残しなのです」
聞くと、ご主人が中心となってお遍路をされていたようだった。自分は付いて行くことはあっても軸はあくまでご主人。バスのツアー遍路までは奥様もともに行かれたが、途中からは、70歳を過ぎたご主人一人の歩き遍路。
旅の情報も、お遍路のしきたりも、ご主人が培っていったということだった。
70番を過ぎた頃、一度自宅に戻られ、十数ヶ寺を残し鬼籍にはいられてしまった。
「跡をついで家族で廻ったんです」
天国のご主人はどんな思いでいらしゃるだろう。
「奥の院に行かれたらお太師様に報告してくださいね」ご主人が「ありがとう」と答えてくださるだろうことを祈っています。。。