引っ越してみてわかってきたこと

最近30年暮らしてきた雷門の自宅を修理のため仮住まいへと引っ越した。どれくらいの期間移っているかは不明だが、そのまま仮住まいで朽ちるかもしれない。縁起の悪い話はするなと怒られそうな気もするが、人間いつどこで何があるかわからないと思って生きていなきゃならない。こっちは嫌でもあちらの世界の事情ってものもある。
だからもうここには戻ってこれないかもしれないと思っているくらいがちょうどよい。心構えはいつも刃の上と思いながらいるTONなのである。

いや、こんな事を書きたくて書きだしたのではなかった。

何を書きたかったかというと、仮住まいにいってからも旧宅の整理にほぼ毎日駆り出されて手料理を食べる暇がない。ということをこれまた愚痴るつもりもないのだが、いろいろ見えてくる事が多い。ということを書きたかった。

なかでも食事は外食が多くなった。
夜の繁華街、食堂楽の町浅草に住んでいるのに外食はまずしてこなかった。
だから浅草はどこが美味しいの?と聞かれても答えに窮する。
だって落ち着かない店では食べる気がしないんだもの。
気心の知れた店主のいる店なら毎日でも通った過去はある。けれど高い。
毎日続けていたら体にも悪い。
だからおのずとチェーン店の定食屋になるのは自然の理である。

商売人は何処に行っても商売人の性から離れられないようで、店構え、店員の態度、食い物の扱い、、、等など五感がフル活動して品定めしている自分に気づく。

どうなのだろう。。。有名な丼屋のカウンターに座り出来上りを待つ。
ドンと座って目をつむりなにも見なきゃいいのに、あれこれ様子をうかがう。
以前は立ちそば屋で見ていたら、ちょろちょろネズミのチュー介がトッピングのてんぷらを食べていて、店員が誰も気づかない。二度と行かなくなった。

お客様の入りは独身の男女が多いように見受けられ、流行っているんだなぁと感心した。
テイクアウトも店内の混み具合とほぼ同数くらいひっきりなし。回転がいいんだ。
「ありがとうございましたぁ」
店員が品物をわたす。
「・・・・・・」
客は仏頂面で受け取っていく。

「ありがとうございま~す」
女性の客にテイクアウト品を渡す。
「・・・・・・」

ん?ちょっとそのやりとりに引っ掛かり料理が出た後もずーっと観察していた。

遅いとばかりにテイクアウト品をかっさらう様にもぎ取っていく者、食べ終わったのだろう、携帯を見ながら何の反応もなく当たり前のように席を立っていく者、そこにご馳走様の一言もありがとねの一言も授受しない。言葉のキャッチボールを避けているようにお見受けした。

下町に育ったTONには口から入る肉の糧の旨いまずいはもちろんのことだが、頑固寿司屋のオヤジでもなければ(それでもそれなりにあるものだが)心のキャッチボールがその店の愛着度、品格、重要度となっているのだ。

なぜかなぁ。それが今流なのだろうか。。。