浅草のそら

76回目の原爆の日。

今年はオリンピックの空気に包まれて原爆の日関連のテレビ放送もそこそこ。

たしか、先回の東京オリンピックの最終聖火ランナーは原爆二世だった記憶がある。

戦後の復興からTONが生まれた昭和三十年には戦後は終わったと言われ、高度成長期に入ろうとしていた頃。しかし戦争の爪あとはそこかしこに頑として残っていたし、戦争で傷ついた家族や個人はなんとか模索しながらも元の生活を取り戻そうとしていた時代だ。そこに象徴的な平和の祭典、東京オリンピック。戦争は終わったと改めて人の心に楔を打ったのではなかろうか。

2020東京オリンピック。戦後はとうの昔に置いてきて今。この時。震災だ津波だ震災だコロナだ天災だ人災だ次々に降りかかる難問に繰り返される今、日本人は災害の多いこの日本列島で慎ましくも互の力を信じ団結し力強く生き延び発展させてきた。日本人のアイデンティティを、古き日本人の心を今一度思い起こし復興させていかなければいけないのだと強く感じる。

復興五輪とはよく言ったものだ。

このコロナ下でオリンピックを挙行させた勇気は賞賛に値するとTONは信じる。

浅草のそら

3時頃には・・・

もう閉めてる店は10軒ないなぁ。去年とはまるきり異なる風景。

浅草のそら

オリンピックもかいまくして1週間となり各国の選手たちも競技を終えたアスリートたちも入れ替わるころなのだろうか。

ここ数日海外の関係者や選手とおぼしき人たちの姿が目に入るようになった。さっきもイタリアの選手たちだろう大勢来店してくれた。遠く地球の裏側まで来て選手村に缶詰になってユータンじゃ。。。情としてそうなるよね。嗚呼、痛しかゆし。

浅草のそら  ロードレースをチラ見

江東区のY氏が訪ねてくださってTONちゃん日記が更新されていないよと話題にしてくれた。

あれ?今日は何でアップしてなかったかな?と思いつつ氏が帰られてパソコンに向かった。

そいえば今日はオリンピックの女子ロードだ。さっきまで木になってちょろちょろ盗み見していた。。。あ!そうかそれでアップし忘れていたのだ、と合点がいった。

女子で137Km高低差1100m、男子で244Km高低差1451m
いずれも道志街道を通り富士スピードウェイに至る。同志街道TONが自転車で遊んでいた頃は道志みちと呼んでいたが今でもそう言うのだろうか。山梨県と神奈川県の境を通る。富士方面への抜け道になる。

街道に沿って流れる道志川の水は美しく、横浜市の飲料水となる。川面は道路と高低差をとらず並行しなんとも気持ちの良い街道だった。数年前に富士山からの帰りに懐かしくて車で走ったが、どこかのバイパスに迷い込んだかと思うほどあまりの変貌さに腰を抜かした(抜かしたら運転できなくなるので何とか我慢した)

TONの時代はリヤカーのようなぶっといタイヤを履かないと走れないバラストの深い砂利道だったわけで、車の通行もほとんど見られなかったわけで、道にへたりこんでも惹かれる心配もないのんびりしたものだった。のどが渇けば川に降りて喉を潤しまためげずに押したり引いたり乗ったりの地道街道だったのだ。

さぁあと女子も残りあと62Kmのようだ。

https://sports.nhk.or.jp/olympic/highlights/content/ff13d17f-68e9-4748-9781-8a24a8a1c83a/