浅草のそら

昨夜はこんなに満開状態だったのに。。。

花の満開って、なんだか寂しい。

自分の人生の転換点の時、弘明寺駅裏のしだれ桜が満開だった。花吹雪がやたらと目に焼き付いている。植物にとって花を咲かすということは、相当なエネルギーを使うことだと思う。咲かせる目的もあるだろう。目的を達したのだからさっさと重い荷物は脱ぎ捨てて、緑の葉をふんだんに広げたいだろう。根に栄養を運びさらなる成長の糧を持ちたいだろう。。。

そう考えていくとなんで寂しく思うのかその感傷は勘違いだとわかる。きは大きく成長しようとしているのだか。そうなんだ。

大地に根を伸ばし、大きく成長しようとしているのだ。無言で教えてくれている。

雨に打たれてあっという間にちるぬるを。。。

浅草のそら

モクレンもそろそろお終い。本当は並木通りの名にふさわしい四季折々の植樹が欲しいところ。

あれ?昨日の画像を忘れてました。。。

11919N19に19にT19にち19にちB19にちぶ19にちぶN19にちぶん19にちぶんD19にちぶんで19にちぶんでS19にちぶんです19日分です19日分です

浅草のそら 今日は示現会だったのだ。

そう。。。!
今を去ること1392年前の弥生18日に浅草浦(今の隅田川当時は遠浅の海だった)から観音像が示現(漁労中の網にて揚がった)した。その吉日を祝う祭りが示現会。今の暦に直して5月に行う祭りが観音祭り、今の三社祭りなのだが、より核心的なご縁日が本日なのだ。
コロナの騒動がなければ堂上げ、堂下げが行われ、神社の神輿が浅草寺の本堂に一晩お泊りをする神社と寺が一つのものだった江戸期以前の文化を肌で感じれる祭りが展開していたのだったが、実に残念だ。

来年にはこんな騒動は治まってもらいたいものである。