浅草のそら

今朝は浅草寺境内の今年初めてのお掃除会。見慣れた顔にホッとする居場所を感じる。

もう三十年参加しているが、年々平均年齢が高くなっていく。年少さんだった息子が三十歳になるんだからそんなところに年の流れを感じる。浅草の生き字引のような先輩達から生きた歴史を話してくれるうちに存分に吸収しておかないとと少し焦る思いもあり欠かすことができない。

今朝もグズグズしいている間に本堂での勤行には参加できず、昔なら休んじゃお。っとなるところ一回一回が宝に思えてどんなに遅れても足を運ぶ。

雷門からこっちは正月に入り始めて。朝のランニングでは川淵を往復して駒形堂をお参りするだけだから、雷門は毎朝の写真だけということになってしまう。

町内の家々に祀る小さな門松は七草を境にあっという間に消えてしまうが、本格的な門松は小正月を迎えるまでは店先にでんと構えて動こうとしない。と見える。

仲見世も正月が続いている。

内陣での勤行はサボってしまったが、新年の空気は本堂内にしっかり充満していた。

浅草寺の布施本の一月号をいただいて帰るとしよう。

温座秘宝陀羅尼が明日から一週間続く。

最終日18日(初観音)夕刻には亡者送りが行われるが、まだ一度も見たことがないTONとしては、、、行きたーーい。

そして19日は初馬頭観音で駒形堂のお祭りである。

浅草のそら

たまにはめぐりんも撮ってあげようかな。ちんちん電車おっかけのTONにはレールのない乗り物には縁を感じないんだけどね。

浅草のそら

明けましておめでとうございます。

本年も昨年と変わりませず何とぞよろしくお願い申し上げます。

浅草からも初日の出は望める。

TONは毎年の恒例で初日の出ランに出かけている。

恒例と言っても何するわけではないのだ。しかもこの時間しかないから早朝になるだけの話し。

けれどそれでも幸せ。

二足歩行ができること。曲がりなりにも、景色を見られる両目がある。何より帰る家がある。これ以上の幸せを望む必要があるだろうか。

だから神仏に手を合わせるときも何も望まない。お礼を言うだけだ。