浅草のそら

親戚のいる宮城の田舎に電話をした。台風の影響で町役場が水没している画像を見たからだ。近くには阿武隈川が流れ支川もあって一度水が入れば田園にありがちでない水が掃けにくいだろうと心配したからだ。

案の定三軒のうち一軒が床上浸水、二軒が床下浸水で周りが湖になっていて、家から外に出られないと言う。TONが子供時代兄弟のように育てられた伯父はちょうど娘の結婚式なのに、仙台まで船がなければ出られない。「なにか悪いことしたのかね~」と言葉の内容とは裏腹の明るい声でさらりと言いのけた。

床上浸水の伯父は、大変だったねと言うが「周りの家もみんな同じ状況だからね。みんなも大変だ」とうっちゃった。もう一人の伯母は「ハウステンボスに行って次の日がこれだもん。忘れられない記念になったわ。食べ物はあるし、のんびりします」と。事実は命に別状はなかったとは言え、かなり厳しい状況のはず。親戚ってどこか似ているなと改めて確認してしまった。。。

浅草のそら

大変な台風でした。被災された各地の皆様にはお見舞い申し上げます。

浅草のそら

うちだけだね。開けているの。。。。

不要不急の外出は避けてくださいとあれだけ放送していれば出かけないわな。。。

浅草のそら

天気図とずっとにらめっこ。

今夜から今年最大の台風と宣伝されている台風19号の影響で風雨が強くなる予報が出ている。明日は計画運休が、JR始め首都圏私鉄各社が発表に及んでいる。まぁたしかに915hpは大きいよね。

店を休んだのは大震災のときも含めて過去1度。今回はどうしようかと悩んでいる。

明日は台風だと散々放送されていたのに朝になるとお日さまがにっこり覗いていた。。。こともあったしね。

まぁ、明日にならねばわからないな。

浅草のそら

今日は東京オリンピック開会式。当日。

もちろん昭和39年だ。

最近は東京2020に忖度してか、1964年の年号表記が一般的になっているように見受ける。

けど僕らの時代の時は、昭和39年表記でしか誰もが口にしなかった記憶がある。

なぜだろう。。。

西暦は合理的にできてはいる。けれどただそれだけだ。日本人に漢字が受け入れられ続けているのは、直感的に漢字表記から物事の全体像がイメージとして伝わるからとなにかの本に書いてあった。元号表記も同じ原理が働くのではないだろうか。昭和という括りの激動の時代の39/64の位置に東京オリンピックが開催された。ちなみにTONは30/64ということになって、昭和の折り返しよりちょっとばかり前ということになる。まぁそれは置いておいて、時代絵巻が一瞬のうちに頭の中?心の中に心象として描きだされるし、時代の匂いまで漂ってきてしまうから不思議でならない。

漢字表記はいにしえの昔の輸入ものではあるけれど、明治時代の新進気鋭の日本人たちによる洋語の翻訳で生み出された和製漢字がごまんとあるのだ(江戸期からのもある)。

民主も主義も政治も経済も思想も自由も福祉も哲学も・・・・ごく普通に使用している漢字、漢語と思しき言葉なれど、海外から流入してきた新しい考え方を創作した言葉であったということ。漢字ではなく日字だったということには恐れを成すばかり。

日本に来ていた中国留学生たちの母国への持ち帰りも含めて和製漢語が中国に輸出され中国語になっていった。現在の中国語の70%以上が和製漢語だというのだから驚きに堪えない。

ま、それはさておき、日本人というのは、第一印象の中にイメージを作り判断する情緒的な民族なのだなとつくづく思わされる。

なのでTONの頭は和暦で考えてしまうというお話し。