浅草のそら

子供の日と言うより端午の節句という方がTONくらい以上の人にはぴったりくる。

五節句と言って全部言える人がどれほどいるだろう。その意味合いも含めて伝えていくのが文化の継続というものだろうと思う。

仏壇も文化なのだ。

仏壇を外人がうらやましがることを知っているだろうか。

クリスチャンでもカソリックなら各家庭にイコンを飾って祭壇を設ける篤信のある家庭もあろうが、日本には30%(以前はもっと高かったが)の普及率で家庭ない寺院、もしくは神社があるのだ。

信仰の対象とする聖域が必ずある国柄というのは、しかも伝統的な手法で在来の仏壇は何百年もかけて守られ発展してきた。

ミニチャーチが各家庭にあるようなものだ。これは驚異ではないか。

そのことに日本人自信が気づいていないのが何とも歯がゆい。

浅草のそら

今日で平成ともお別れですね。

ちょうど宮中賢所では退位の礼が行われておられるのだろうと感慨深げのTONであります。

どことなく師走の空気を感じて、やはり日本人なんだなぁと自分のアイデンティティーが何なのかを感じました。

浅草のそら

今日は「昭和の日」でお休み。 
「令和」も秒読み段階。忙しい。 

商店街の街路灯に国旗掲揚用の旗差しをえんやこらよじ登って全部に取り付け終えたし(これは怖かった)、令和の便乗商品も用意し終えたし、書類の平成から令和への書き換えも終了したし、考えられることはほぼ終了。 

あとは新たな御代への心構えだけ。 
平成の時は、そんな間もなく余地もなくスタートしてしまったし、まだ半旗の期間だから賑々しいことは控えられたしね。 

ふと気づいた。 

今日は、「昭和」。明日は「平成」。明後日は「令和」。 

三日で三代の御代を過ごすのか。