浅草のそら
今日から連休に入る方が多いのでしょうね。
TONは週休二日の恩恵を受ける前にサラリーマンは卒業してしまいましたから、毎週連休の感覚がわかないのです。ましてや10日間も・・・TONがサラリーマンだったら、間違いなく、絶対に!お遍路に行きます。もちろん相棒は自転車です。行きたい、行きたい、行きたい。。。。。
浅草のそら
浅草のそら
平成もあと残すところ一週間です。
今上天皇陛下の御譲位による御代替りということもあるのでしょうが、新元号への期待値は高いような気がします。むかしむかしは、疫病が流行る、天変地異があった、戦火が収まったetcがあると元号を刷新されて、新たな出発をして北日本。しかしながら慶応四年に一世一元の勅が発せられて原則、天皇陛下ご在中、元号は変えないとなってからは世の中がどう変化しようとも一世一元、原則通り150年です。ご崩御による改元ではないことに、今までにない感動も生まれそうな気がするのですが・・・
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら 今日は流鏑馬の日
今日は墨田公園内で流鏑馬が行われますよ。
浅草に何故流鏑馬が?といぶかしがる御仁もいらっしゃるやもしれませんが、江戸は全人口の八割が武士の町。と言うことは武芸百般の稽古も盛んだったということです。剣術の道場しかり馬術然り、飛び道具の弓しかりです。
江戸時代、浅草には京都にあるような三十三間堂がありました。江戸の大火で焼失してしまいましたが、弓術も盛んだったのですね。
もちろん通し矢が行われていました。通し矢とは33間1.8m×33≒60mを時間制限の中で何本的を射ることができるかというメンツをかけた試合が行われていました。並の弓だと張力が18kg~重くて20kgくらいのところ、通し矢だと天井のある空間で行われるので、床と天井の間の空間を使い60m飛ばすということ。これだけでも凄いことです。そのための弓の張力は100kg近い弓もあったと言いますから人間とは恐ろしい。かがり火をたきながら一晩で一万本以上飛ばすというのだからどんだけ~です。
そんな訳で流鏑馬が浅草で行われてもちっとも不思議ではないということを言いたかったTONなのでありました。