すっかり春めいてきました。
墨田区側に咲く「雅」という品種の桜は開花は毎年早いんだよね。
台東区側は覆いかぶさっていた枝先が伐られて今年はさびしい限りです。
うろこ雲が広がっているから雨が近いかな。。。と思っている間に掃除を済ませて帰ってくると。
もうこんなに雲が集まってましたよ。
昨日、そして今日は浅草寺の観音様がおおよそ1400年前に浅草浦(今の隅田川)から示現された日にちなみ示現会(じげんえ)が催された。
日曜日の昨夜は三社祭りの主役である、一之宮、二之宮、三之宮が神社でのお払いの後、浅草寺のあの急な階段を持ちあげ三社めでたく本堂内でご一泊されるのだ。
神社の御祭神が寺の本堂に担ぎ上げられる?訝しがる御仁もいらっしゃるとは想像できるが、明治になるまでは、浅草神社は浅草寺とくっついていて、一心同体のものだった。一之宮の御霊である土師中知(はじのなかとも)は、海から揚げられた観音様をありがたい観音像であると理解して自宅を寺にしてお祀りした篤信者第一号である。代々その血筋のものが浅草寺を仕切ってきた。言い換えれば、土師家の氏寺といっても過言ではない。
この日、土師の神輿が本堂の御宝前に鎮座されるということは、1400年前のそのときを、まさに再現していることになる。
なんと勇壮なロマンだろうか・・・
二年前の今日の隅田川沿いはこんなに桜が散っていました。
今年はやはり寒いよね。
今年の桜の姿は枝先がバッサリ切り落とされていて、川に向かって伸びていておおらかに腕を広げていた樹相が、かわいそうにすっかり縮こまって見えてしまう。
ここまで切り落としていいのかなと思うほどだ。
今日は3月10日。
と言えば、少なくとも東京都民ならば忘れることができない慰霊の日。
まだまだこんなに肌寒いその夜、下町一帯をB29の大編隊から投下された焼夷弾で10万人以上の非戦闘員が焼き殺された日である。江東区の知り合いのお寺の老師に伺ったことは町内に寺があることで、町内外のご遺体を境内に持ち込まれ うずたかく積み重ねられたという。その光景は忘れることができない。昨日のことのようだと言われた。一家全滅というのも珍しくなく、当然戦後のどさくさもありだれも引き取り手はなく、行き着く先は東京慰霊堂の納骨室に落ち着いてしまうわけだ。
慰霊堂の管理団体職員だった関根さんにはお世話になり、慰霊堂に伺うたびに納骨室に案内された。天井まで何段にも重ねられた白い瓶には緑町何番地誰々と言うように名前まではっきり書かれているお骨もあれば、本所何丁目辺り何遺体と大雑把な書き込みに遺体数が記入されたご遺体もあり、人知れず殉難されたことが歴然の白瓶もある。想像を張り巡らせる必要など全くない、超リアリズムの世界がそこには凝縮されている。
そのご遺志の線上に自分は置かれているだろうか?置いていないとしたらこの方々の犠牲はどこにつながるのだろうか。と考えさせられたのを何十年も前のことなのだけふっと思い出される。
子供の時にテレビのドキュメントで知ってから横網町はTONの心の原点になったのだ。
今日も大祭の準備に早朝から忙しそうに係りの方々が動き回っていてどこか雑然とした空気の慰霊堂前だった。