今朝の浅草寺

毎月一日は浅草寺境内をお掃除させていただいている。

ここ最近、靖国神社の昇殿参拝には行くことができないので、月替わりは浅草寺の朝課と境内の清掃で切り替わる感じがする。

けれど、このところの騒動で浅草の現状は静寂を保っているわけで今朝はどうだろうと内心ドキドキしながら本堂に向かった。

朝でも昼でもおんなじ光景の仲見世ストリート。。。

浅草寺点描

冬時間の勤行に合わせて朔日は浅草寺境内の掃除を行う。

地元の商店主立ちによる恒例の行事は何十年続いているんだったけ・・・

TONが30代前半からのお決まりコースなのだから三十年以上続いていることは確かなことだ。

いつも朝ランでは五時起きなのだから6:30の勤行なんて軽い軽いと油断したのが間違い。二度目に目が覚めたのが6:30。

慌てて走って雷門をくぐると、昨日まで飾られていた正月飾りは綺麗さっぱり片付いて目通しがすっきりとしていて物足りないくらいの空間が広がっていた。

五重塔前でお辞儀をする人は数が少ない。

する人は、そこがどういう場所なのかを知る地元の人と見た。

もうすでに観音経が始まっていた。本当はその前の声明が朝を告げるにふさわしい響きを感じて聴いていたいところなのだが既に時遅し。。。

本堂内は撮影禁止なので、美的に衝動に駆られるのだがおとなしく導師の手元を伺うのみにした。

勤行が終われば、それぞれチリトリと箒を持って携帯に散らばる。

今日は生憎と言ったらよいのかなんなのか、清掃が行き届いていてゴミひとつ見当たらない。

TONはいつもの持分(自分で勝手にそう思っている)母子地蔵内を履き残した隅を突っつきながらくまなく掃き清める。

満州からの引揚者の悲惨さは伝え聞くが、戦争体験を持たないTONでも、母子の表情に胸を突かれる。何度繰り返し見ても・・・

二尊仏の背には江戸期の阿弥陀如来を始め地蔵が並ぶ。

こことて以前は朽ち果てることが目に見えて進んでいた箇所だが以前の貫主猊下の時代に全て環境整備されておまいりしやすい姿に戻った。

浅草寺本堂の重奏な屋根にも関わらずどことなく軽快なのはそのアールのうつくしさからくるものなのかな等と思いながら目を凝らしていると今は邪魔者にされてしまっている鳩たちが「すんません」と数羽、羽根休めをしているのが遠望された。

もうちょっと左に寄ればあったかいよ。。。とのテレパシーは通じなかった。

掃除はそこそこに終了。

一緒に歳を重ねてきた先輩たちと茶話会だ。

ちなみに、このお茶を提供している浅草駅前の増田園の三代前は、大砲の弾を作り水戸藩に納めていた。勝海舟とも縁浅からぬ家柄なのだが戊辰戦争後、静岡に移り住み食い詰めた侍たちのために茶畑経営を始めこの商売になったのだとか。

聞いてみるものだ。。。