浅草のそら

文化の日。って昔からあんまりピンとこない名称。
昭和一桁の母親は、天長節と言ったり、明治節と言ったりしていたのを覚えている。文化の日と口にしたのは記憶にない。

母親の実家は宮城の片田舎で和菓子屋をやっていた。
この日には紅白まんじゅうを山と作らなければならなかった。
子供達の授業はないが記念の朝令はあり、有難く校長先生のお話を拝聴したあとは、まんじゅうをもらって帰るだけ。
一般の家の子はのんびりしたものだが、母の実家はてんてこ舞いになって、子供の手も借りるほどだったらしくそれが嫌で仕方なかった。商家の家には嫁に行かないと思わせるほど耐えきれなかったと毎年聞かされた。それでも嬉しかった思い出の方が勝っていたようでよほど嬉しく楽しかったのだろう。

そんな思いで多い明治節も戦後は国の方針で訳のわからない「文化の日」と取って付けたような名称に変更された訳だ。
そろそろ故事来歴をはっきりさせ、古を偲べる名称へと元帰ることにはならないのだろうか。。。新嘗祭もしかりあれもこれもだ。。。

浅草のそら

TONは最近よくつらつらと考えます。
世の中が凄い勢いで変化し回っている気がしてなりません。

明治維新も後の時代の人が理屈づけして、時代の潮目を整理したわけで、「今」もそんな潮目の大変化中なのかもと思うところです。

誰もが感じているときなのかもしれませんが。TONは大いに感じてじっとしていられないのが正直な気持ちなのです。

浅草のそら

カラスが多い。木蓮の赤い実が美味しいのかしら。。。TONは食べません。念のため。