となりの念珠が小さく見えまあす

厚い平玉が必要になり
球体の玉を職人を拝み倒して、何とか平玉に変更した。
すごいボリューム!
 
普通の大平だと、6mm程度の厚さで円盤のイメージだが、
ドラ焼きほどのイメージがあるも、意外と扱いやすい。

思った以上にきれいに上がったのでホッとしていたら、
仕立てが違うことに気づき、急きょ手直しとなる…とほほ

たぬき通りのタヌキさん

あなたのお名前なんて~の
大師たぬきと申します。


ポン

12匹のたぬきからなる、「たぬき通り」

じゅああぼくは、何たぬき?


ご利益たぬきなるぞよ・・・


たぬき通りに住んでます。

のどもと過ぎれば・・・

今日は、赤穂浪士討ち入りの日

ひたすらひたすら、忠義を通した武士の美学が、元禄時代当時の民衆の心をわしづかみにして放さなかったわけだ。
(討ち入られたほうは、何百年も悪人にされて、たまったものではなかっただろうが…)

これほど執念深いのが、わが民族の本質かと思えば

情報として耳にする程度だと、悲惨な事故事件も、
すぐに忘却の彼方に忘れ去るようだ。

震災しかり、津波しかり、JR事故しかり、飲酒事故しかり、
情報過多が原因かもしれないが…

2000年の三宅島噴火で全島民避難の悲しみからまだ6年しかたたないのに、
どれだけ意識に残っているだろうか。

ほんの時々の話題として、まだ帰島できない人々が
3割以上いらっしゃる程度のニュースを聞くに留まっている。

けれど、そこを故郷にしている人々には、
10年たとうが、20年たとうが、そこが故郷なのだ。

そして生活の場を求める以上、
そこには、生活の基盤がなければならない。

亜硫酸ガスの噴出する島で何の産業が起こせるのだろう。
考えると、いかに難関であるかが理解できる。
同じ都民としても事実を理解しないと…

英国マン島レースの三宅島版。
都知事が推し進めている。
心から期待する。
http://hochi.yomiuri.co.jp/column/nakajima/news/20060602-OHT1T00157.htm

ついでといってはなんだが、
箱根駅伝が正月行事となっているが、昭和30年代まで行われていた、
東海道ロードレースもエコ意識の象徴として、
復興しないものだろうか…

コーヒーのライブ

世の中こういう時代なのだ。

豆を挽き、蒸し、ドリップする。
進捗状況をいちいちディスプレーを通して実況してくれる。


これは画期的!
おりこうさんコーヒー自販機君だ。

そう。
世の中、判断は川下なのだよ。

ついでにいうならば、
蒸し時間の調整、
ドリップ温度調整、
注ぎ方まで、注文者がいじれたら、ロングテール時代にふさわしい
自販機が完成するだろうに・・・無理?。

タイムスリップ

仏壇のお届けに、横浜と藤沢の境まで出かけた。

横浜の清楚な住宅街であった。
ぼくの青年期を過ごした下町とは目と鼻の先でもあった。

もう30年も40年も経ってしまっているなあ・・・
と思いながら、浦島太郎を決め込んで車を走らせた。
案の定、あまりに変貌して道に迷うこともしばしばだった。

お届け先のお茶呑み話で、鎌倉街道が話題になった。
「ずいぶん変わったよ」の一言に
散々通った鎌倉往還の峠道に帰りしな向かうことにした。

そこは七曲という。
鎌倉への切通しのひとつになるのだろうか。
夜にもなれば狸も出そうな真っ暗な、文字通り峠道だった。
自転車で大船側からこの峠を越えると、「無事横浜に帰ってきた」といつもホッとしたものだった。

唖然とした。
30年の月日は、七曲の峠道をスロープに変えていた。

大船側に碑を発見した。

「鎌倉街道完成記念碑」だそうだ。

写真を撮っていると人が寄ってくる。
ものめずらしいのかなあ。

地元の80歳になるおばあちゃんに、懇切に説明をいただいた。
佐賀弁。まったく聞き取れない。

唯一、理解できたのは、54年住んでいる。という。
あ!身の上話ね。

ここもずいぶん変わったよ。とも話してくれた。

最後は、振り返り、振り返り別れた。

おたっしゃで・・・