我が家は、結婚してこのかた、
「肥後米」以外めったに口にしない。
母の田舎は「ささにしき」の本場であるのだから
もともとは当然、ささにしきファンであったのだが、
結婚して此の方、すっかり好みが変貌した(させられたが正しいかも)
まあなにより、それまでは「肥後米」の旨さを知らなかったのだから
しかたないと思っている。出会いとは恐ろしいものである
関東以北では「肥後米」そのものを、口にしたことがない方が
多いのではないだろうか。
調べてみると、明治期、特に江戸時代までは、
米の相場を決める重要な基本米だったことを知った。
また、江戸にも多く流通していて、ごく一般的なお米であったようだ。
味は、南国育ちであることも影響するのか、ねっとりとして少々時間がたっても
新米の気負いは消えることがない。
もっとも、エンゲル係数のグット高い我が家では、
一ヶ月の山を越えたためしがないのだから、計りようもないのだが。
けれど肥後米が本領を発揮するのは、冷めてからである。
一日以上経って、冷飯になった時の食感のよさは、比類がない。
米の宣伝をしようと思ったのではないのだが、
そんなお米を、せっせせっせと田舎から送り続けてくれている。
親は、いつまでも親であり続けるんだなあということに気づかされるのだ。
昨日送られてきたお米をふと見ると
ビニール袋を透けて、赤い帯がのぞいていた。
50を越えた子供も、子供は子供。
改めて親のありがたみが沁みる、一封だった。