3月が近づくといつも思うこと

浅草近辺を歩くと戦争の傷跡がここそこに
案外と残っている。
観光地であるだけに、表立っては目立ちはしない。

いい例が、浅草寺境内の銀杏の木だ。

空襲時に焼け落ちた幹から、
いつのまにか新芽を出して今に至る。

近寄って目を凝らしてみて欲しい。
戦争の傷跡が、多く残る。

墨田川に出る。

今は、ウォーターフロントの玄関口
花見となれば屋形船が、川面を赤く染めるその場所は、

空襲当時、川面全体に、
逃げ切れず飛び込み力尽きたのであろう
多くの遺体が打ち寄せられていたという。

幼い命も母に抱きかかえられたまま、
あるいは、
恋しい母の手を離れたのであろう
いたいけな亡骸も、
数多く引き揚げられたと聞く。

そうした光景を知る近隣の有志によって、
建立された供養碑は、
吾妻橋のふもとにて、
今でも、花が切れることもなく祀られている。

浅草から、アサヒビールのモニュメントに
顔を向けるときは、

雲子ビルの滑稽さを思うと同時に、

その足元にある
殉難者の碑に、いつも思いをはせるのだ。