20年ほど前に浅草寺で仏壇供養をしていただいた。
環境保護を叫ぶ今では、想像もできないが、
古い仏壇を野焼きするのである。
仏壇を30基近く供養して…つまり燃やした。
まだ、お寺とのお付き合いの仕方もよくわからなかった頃。
未知の世界がただ楽しくて、
胸をどきどきしながらも許可をいただきに寺に伺った。
浅草寺境内の仕事となると、
仕切り役がいることを始めて知った。
根回しがあれこれと必要であることも知った。
江戸から明治の大親分、新門の辰五郎の筋に当たる
株式会社新門の門を叩くことになった。
鳶の看板を持つ方と始めての付き合いに
かなり緊張しながら言葉を選んだ記憶がある。
けれど、縁のないどころか、
むしろぼくの先祖にとって、浅からぬ関係のあることは、
胸にしまっておくことにした。
見るからにスカットした若衆が、
当日の責任を持ってくれる算段で
仏壇供養を行なう手配となった。
溜め込んだ仏壇は、当日持ち込まれたものも含めると
予想をかなり上回った。目通しではきかなくなった。
浅草寺の導師、式衆の読経の中、
仏壇に火がかけられると、
はじめ、ちょろちょろとしか燃えず、心配したが
あっという間に、人の3~4倍の高さの炎が渦を巻いて立ち上がった。
あまりの勢いに、皆が慌てたのは言うまでもなかった。
すべての仏壇が灰に戻ったとき、
会場を取り囲んでいた銀杏の葉が、
全て黄色く色づいていた…焼けたのだ。
今でもその光景は、目に焼きついて離れない。
それらが、戦火を潜り抜けてきた、有志たちであったことは
後で知った。
物言わぬ伝言者。銀杏。