雷門前から続く雲の波。
目をやれば驚嘆のキャンバス。
夏ほどコントラストは際立たないけれど
龍口が横たわる。
都会にも自然の息吹は見られるのさ。
夕方あと一仕事と思っていたら、
お得意さんの一人、Mさんが来店され、
この方はチベット仏教にある4大派閥の最古(古派という)派のニンマ派で20年以上、
仕事を辞める事もなくその最長老からの直接指導を受け修行を続けてこられた。
何度チベットと日本を行き来したか知れない。
http://www.tibethouse.jp/culture/buddhism_4categolies.html
大学の講師をを務めたり、その道ではインテリ層の部類のはずなのだが、
全くそのかけらも、いっさいそぶりも見せない。
だから馬が合う。
仕事柄、べらんめえとまでは行かないが、
気持ちはその世界に近いようで、細かいことは気にしない。
表に出たがらないので、
チベット仏教の法灯を護持している希少な立場にありながら、
せっせと行法を極める努力を惜しまない。
ゆえに、そんな所に学ばされ、また魅かれるのだろう。
http://www.tibethouse.jp/home.html
「チベットはこの先どうなるんでしょうね」と時たま投げかける。
政治の話はしたくない表情ながら重い口で、
民族浄化(漢民族化)はもう避けられないねと寂しげに、
且つ険しい表情で漏らす。
ふ~ん。なのに平和の祭典のオリンピックが行われるの。
と、僕の不思議を投げかけるが、話はそれ以上進展することはなかった。
あきらめているのだろうか。
考えるに、その法は、すこぶる速やかに、かつ世界的にどの宗教より席巻しているように見えるのは僕だけではないと思う。日本ではあまり馴染みがないが、ヨーロッパでもアメリカでも、仏教といえばチベット仏教をさすように拝察する。
国追われて山河ありではないが、国亡して「法」弘がる。
キリストの死後(復活後)300年以上ローマ帝国の迫害を受けていたキリスト教が、
目を覆いたくなる犠牲の元にいつしか国教となるに至った。
回教にしてもしかり、仏教にしてもしかりであった。
歴史を見れば、宗教とは権力からの迫害に決して屈服した歴史はない。
むしろ、迫害するその側の心に伝達され、教勢を広げていった歴史を考えると、
不思議な気持ちになるのを止める事はできない。
気付くと、閉店時間になってそそくさと辞していかれた。
今日は2時間。
つい足止めさせてしまった。
でも今日は短かったほうかな…。
ルチールでも
珍しい。赤ルチール。
こんなにルチールのかん入がありながら、
水晶部分の濁りがほとんど見られない。