白髪抜き

子供の頃、コタツでテレビをみていると、
「そんなに暇なら白髪でも抜いてょ!」

と、お声がかかり、
母親の白髪抜きの手伝いをさせられた。

前髪よりも頭頂部、頭頂部より側頭部のやや後ろ側という
本人からは死角となる位置ほどどういうものか、
その白いものは多かった。
人は一人で生きていけないということかもしれない・・・

頭髪を掻き分け見つけたときの喜びは、
深山に宝を発見したような感触を受けたものであった。
宝を探し当てたことは実際はないのだから、予想でしかないけれど。

とにかく、いったん親指と人差し指で挟んだら最後、
頭骸骨に対し垂直に、全身全霊の力を込めて思い切りよくいっきに引っ張らないと
すこぶる痛いものらしかった。
その点ぼくは何故だか上手くて、
「おまえのは痛くない」と評判だった。

姉がたまに抜くと「あ痛っ」っと母の大声と、
痛みを分散する為に、頭を擦るしぐさをいつもながら目にした。
黒毛を抜きそうになって躊躇するからそうなるのである。
かまうこたあないのだ。
「抜けたよ」と白いものだけ選んで見せてあげればよいのに。

歳をおうごとに宝物を発見する確率は高まった。
そのうち頭髪を掻き分けなくとも、
誰の目にもごっそり見えるようになってきた頃、
僕の手を借りることなく、毛染めする母の光景を目にするようになり
それは卒業した。

僕の頭は父親似だから、剥げることはあっても白髪には縁がないだろう。

そう思い続けてきた。

四十路を過ぎるころ、鏡の前に立つと、「あれ?」と、白いものが・・・
頭ではなく、鼻の中に・・・
どういうわけか鼻毛が白くなった。
日増しに割合は増え、五十路を過ぎるとついに
もみ上げ部に白いものが見えはじめた。
はげることはあっても・・・と思い込んできただけに、嬉しかった。
そのうち月を追うごとにごそっという単位で増えはじめた。

当初お宝と思っていた白髪もこう増えちゃもうプレミアは付かなくなった。

白髪抜きを卒業した、母と同じ歳になったことに気が付いた・・・

妙な気分になった。

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