子供時代、お彼岸と言うと、父の墓参りが一大イベントだった。
当時住んでいた、横浜の白楽から父の墓のある西東京の田無まで、子供心には結構長い家族旅行であった。
渋谷までは東横線で一本だが、西武新宿線は当時、高田馬場を始発としていた。
ゆえに渋谷→高田馬場間は、国鉄を使わなければならなかった。
当家はどうやら全員が方向音痴のようで(要するに母譲りということなのだろう)渋谷駅が近づくとひそひそ話しが始まる。
「絶対離れちゃダメよ」
「迷っちゃうからね」念には念を入れて母は子供に注意する。
子供は子供で「お母さん迷子にならないで」と心に思っている。
母の緊張はこちらにひしひし伝わってくる。
過去何度も乗り換えに失敗している因縁深き駅なのだ。
だから乗換えが複雑な渋谷駅を前に手に汗を握る緊張のひと時なのだった。
高田馬場駅で国鉄から西武新宿線への乗り換えは実に楽だった。
ただ、西武線は当時とにかく時間がかかった。
子供心にも、そう感じた。
目的の花小金井駅の一つ手前で鈍行に乗り換えるのだが、これが恐ろしく待たされる。昔と言えど横浜市内の喧騒さと比べれば話にならない静けさだった。
亡き父が学生時代はたぬきに道案内されたと言う話もまんざらでもないと思う瞬間だった。
ひばりのピーヒョロローの鳴き声も聞こえてきて、なんとも牧歌的な風景でいつもここで眠くなった。
手入れが行き届いているとは言い難い草ぼうぼうの軌道敷きと、高圧線。弧線橋ではなく、駅構内の踏み切りで上下線の乗り換え(田舎の駅そのもの)、4両編成がせいぜいの短いホーム・・・
彼岸花が咲く川岸と相まって、今だに西武線=田舎電車が僕のイメージから抜けないのである。