つぶやく
玉穴を拝見するとテグス(釣り糸)一本通してやっとなのだ。
実際通している中糸は念珠糸ではなくテグスそのもの。
念珠の玉は、実は見えないところにものすごく手間をかけている。
できあがってしまうと形は念珠であるが、似て非なるものなのである。
海外品には細い木綿糸やテグス。
中にはワイヤーで通しているものも散見する。
テグスやワイヤーが強いと思ってのことなのかもしれない。
亡も過去いろいろな糸を試した。
ナイロン100%のがっちりした糸も使った。
けれど、「硬い」と「しなやか」では後者に軍配が上がる。
こんなにがっしりした糸がと思うのは素人のなんとやらで、念珠は玉と玉の間で糸を四六時中、曲げたり伸ばしたり引っ張ったりと限りない悪環境に貶めているのだ。
硬い糸ほどせん断に弱い。硬いと思っているワイヤーも繰り返し〃箇所を折り曲げられればあえなくギブアップする。
ネックレス用の玉は、中糸との間隙をあえてとらないため、細い針の先も入らない。
それほど小さい穴の玉で念珠を作ろうとするのは、元来無理な話なのだ。
ゆえに穴を大きくしないといけない。
けれどそれをすると一玉数百円かかる。
中国など海外でこれは安いと思ってホクホク持ち帰っても、ちゃんと長持ちする「念珠」にしようとすると、かえって高価なものとなってしまう。
実は作りかえる側もジレンマなのだ。
制作する以上自信を持って送り出したい。
「よかった」といってもらうのが職人の生き甲斐なのだ。
「もう切れた」とかひどい場合は「手を抜いたんじゃないの」などと言われたら、みもふたもない。
海外製は初めからお断りしてくれとも言いたくなるわけだ。
でも他でいい加減な作り方をされるくらいなら自分の手で最良な方法を編み出して制作しておきたいというのも本音なのだ。
だからジレンマを起こしてしまう。
こうしてみるときれいに見えるのだけれどね・・・
念珠は日本の職人が作ったものを持ってもらいたいなあ・・・・
浅草のそら
散華
近所に住む元朝日新聞天声人語執筆員のおじいちゃんに、
「見なさいよ」と念を押された知覧のドキュメントを拝見した。
冒頭から泣けて泣けてしかたなく、
家族の手前、テーブルに顔を横に倒しくっつけたまま、
最後まで顔を上げることができなかった。
以前靖国神社の遊就館の売店で手に入れた「命の言葉集」を買い求め
特攻で散華した若者の遺書を何度も読んだ。
読みながら、同情の涙を幾度も流した。
けれど、当時の最高学府を学ぶものたちも含め、
これほど非人道的な兵器によく乗ったものだと思った。
戦争とはそういうものだと言われればその通りなのだが
否応なく応えなければならない時代の空気はもちろん考えなくてはならない。
そうした条件を差っぴいても考えをはるかに超越した何かを感じざるを得なかった。
あるとき当時の若者たちが何を望んだのかを知る機会を得る機会があった。
特攻に出たとしても、この戦争は負ける。
自分たちが散華したところで戦争の結果がどうなるものではないと百も承知していたという。
負けることはすでに肌で感じ終局は変化できずとも、後に続くものに託すと。
自分たちが散華することで、後の日本人がその魂を受け継いでくれるだろうことを信じ飛び立つのだと。
そういう彼らの観念を知ったとき、
ただ可愛そうだと思う、ヒューマニズムだけで理解してはいけないのだと感じた。
現代を生きる自分たちには責任がある。そう感じた。
浅草のそら
再び雨
急に出かけることに。
と言っても日暮里だから隣町の気分。
自転車で出かけるも、暗雲立ちこめてきた。
いつもながらのことだけれどこれだもの。
浅草のそら
アクアマリン片手: :END