わが店内のライトは今流のクールライトではない。
だから、暑い。
夏は色彩的にも暑さを増す。
人の心には電球色のほうが癒し効果があると聞く。
けれど暑いものは暑い。
こういう色が心地よくなってきた。
こんなことにも
秋も深まり晩秋が近いことを知らされるのだ。
わが店内のライトは今流のクールライトではない。
だから、暑い。
夏は色彩的にも暑さを増す。
人の心には電球色のほうが癒し効果があると聞く。
けれど暑いものは暑い。
こういう色が心地よくなってきた。
こんなことにも
秋も深まり晩秋が近いことを知らされるのだ。
最近、いつもお世話になっている尼様’sとお話をする機会に恵まれた。
いつも生きるヒントを何かしら置き土産にしてくださる。
だから一言一言が聞き逃せない。
長耳とならざるを得ない。
「坊主は地べたにいるのがいい」
いつも口癖にされている。
僕も真にそう思う。
これまたお世話になりっぱなしの師も同じ事を口にする。
師は文字通り地べたに生きて、耳塚鼻塚の霊を国家レベルで供養した。
ぼくの知るお坊さんは、みな地べたに生きる。
ふと思い出す事がある。
自分の人生の舵を大きく切るに及んだ原因が親友の自殺にあったことは
以前のTONちゃん日記で少し触れたことがある。
当時を振り返ると、「人生って?」を暗中模索、もがきにもがいた。
荒海の中の小船のような大揺れの毎日。
もし地べたに生きる坊さんに巡り合えていたら、
一も二もなくその道にいただろうと思う。
縁あって仏具業界の中に身を置くようになったけれど
ただ気持ちは当時となんら変わらない。
だから心ある方と話す中で、もし初心に響かなくなったときは、
そろそろ交代のときかなと思っている。
チマ・チョゴリの店が並び、キムチの匂いが辺りに漂い
店先の一杯飲み屋が喧騒さをいやがおうにも演出する。
浜っ子の自分の原風景にも共通するものがある。
横浜の野毛あたりも、黄金町あたりも、横浜駅東口の帷子川沿いもこんなだったなあ。
通りが整備されてくると、どこか遠くなる風景。
整然とした浅草もいいのだけれど、
ちょっと怪しい・・・も、
町の要素として残されているからこの町は面白いのかもしれない。