浅草のそら
時とともに
義理の兄が若きころ好きだった曲。
姉も影響されてよく口ずさんでいた。
「春夏秋冬」も良く聞かされた。
心象を素直に現す名曲だと思うが、曲の内容云々ではなく、
がらっぱちな歌い手が好きではなかったことと、
姉が心寄せる者への感情の波の中で、
坊主憎けりゃの論理で一把一からげにアレルギーを起こし、
人も曲も全く寄せ付ける心を失っていた。
この歳になって、気付くと口をついて出る。
どこか詩に共感するようになってきたのだろうか。
このサイズ
子供のサイズと思っていたのだけれど、
このサイズ、女性用として普段使いにいいではないかという提案。
小さい玉でかわいらしく手毬をつける(写真は中サイズ)。
なかなか愛らしいと思いませんか。
でしゃばらず、さりげなく装う。念珠の姿は崩してはいないしブレス念珠を片手念珠代わりにすることを考えたら正統である。
頭房を使うのもよいが、さりげなさを出すなら手毬のほうが良い気がする。
(右は通常の女性用切子片手)
松房の短いものもさりげなくてよいのだが
房の状態を考えると、気遣わないですむ手毬房に軍配が上がる。
あさくさのそら
浅草のそら
ジオラマ
上野に出かけたついでに浅草の歴史を調べようと
ちょっと寄り道をした。
旧仁丹塔の近くの浅草文庫に寄ることにした。
区の郷土資料館よりも嗜好を凝らしたニッチな資料が豊富にある。
地の利の悪さで意外に知られていない。
東京電力の営業所内にあるのだから、見つけにくいと言うこともあって来館者で混み合うと言う場面に遭遇したためしはない。
歴史資料を探しにきたはずなのだが・・・
一階フロアーでこんな催しをやっているんだもの
浅草十二階(凌雲閣)のある風景をジオラマで再現。
下町の横丁は、いやメインストリートもこんなだったぞ・・・
あ!こんな風景あったよなあ・・・
すっかり魅入ってしまっている間に、
2階にある浅草文庫は閉館してしまいました。
場所はテプコ浅草館。
浅草のそら
玉石混交
この10月から台東区は、ゴミの集荷方法が変わりました。
今までの可燃ごみとプラスチックゴミの分別がなくなりました。
そこで二日目の感想。
正直なところ、ゴミながらも、無分別の混合集荷は気持ちが悪い。
玉石混交に感じてしまう。
この同じゴミ箱に何でもかんでも捨てる行為がまず第一の関門。
混じったごみを見るのが第二の関門。
気持ちの悪さを誘う。
何年も続いた分別ゴミの習慣は、意外にエコ意識を植え付けてくれた。
可燃ごみにピニール製品を見つけられたら、集荷しなかったのだから
俄然出す側の意識は育つ。
こうなるとは予想していたけれど、気持ちの悪さは子供ですら思っているみたい。
いや、子供だからなを思うかもしれない。
混合ゴミでよいというのは処理場の理由だったり、
焼却炉が高性能になったからという理由なのだろう。
けれど、住民に育ったエコ意識を落とさせない配慮が大事なのではと思った。
ビニールやプラゴミなどは、貴重な石油製品。
集荷場に集まるそのゴミの量を見るにつけ、「これではいけない」意識が自然と芽生えてくる。
これだけ石油を無駄にしていると認識できるだけでもエコ意識と思うのだが・・・
水際が自然に啓蒙すされるよい機会なのだと改めて知った。
これでは精神衛生上良くない。
我が家では今までどおり、2系統に分別し続けることにしようと思う。