お客様と一緒に歳をとるということ
Mさんが店におみえになった。
気が付けば二十年来お付き合いしてさせていただいている。
仏さまを観るのが大好きで、ずっと観音様にも通い続けている。
ちょっと前までは、巡礼にも暇を見つけては出かけいた。
もう八十の坂を超えるが、しゃきっとしていて一人暮らし。
ここに来ると「お話しちゃうのよね」
と、照れ笑いされながら何度も頭を下げて帰られる。
そんなに気を使わなくてもいいのに・・・
うさぎ屋のドラ焼きがいつもMさんの手土産。
うさぎ屋の包みがあると「Mさん来られた?」で99.9%間違いない。
ぬる温かい風はいやと、冬は絶対に暖房をつけない。
「だからこんなになっちゃうの」としもやけした鼻の頭を指差した。
夏は「クーラーの風はきらいなの」と35℃を軽く超えるであろう西日の差す部屋にあっても汗をかきかき過ごす。
そんな姿に凛とした古い日本の女性を見る。
江戸っ子の粋とも意地とも思う。
以前、若い頃の写真を拝見したことがある。
照れながらも僕のお願いに応えてくれた。
丸髷を結った若い姿に時代を感じた。
モノクロ写真は、もうセピア色になっていた。
でもそこには、僕より若いMさんがいた。
ぼくは人生の先輩の若い時代の写真を拝見するのが大好きなのだ。
今は老齢になられていても、
母の胎から生れ落ちた瞬間があった。
文字通りの青春があった。
恋に胸を焦がした時代があった。
子育てに格闘した時代があった。
そのすべてが先輩たちの容姿に刻印されているのだ。
その道程を想像するのが楽しくて、興味深くてならない。
Mさんも暦を刻んで80年。
家族のために懸命に身を粉にしながら戦前、戦中、戦後を生き抜いてこられた。
それ相応の年輪は確実に刻まれたけれど、
心はより人として深みを着実に増していった。
考えていくと時空と言う座標軸なんて、肉体の若さという尺度なんて、なんだか全く意味のないもの、虚しいものに感じてくるのだ。
結果としてMさんにいつも元気付けられる。
考えるに、元気の素を置いていってくださるゲストが実に多いことに気付く。
故に、こうして今まで商いの僅かでも続けられてきたのだと思う。