お帰り。

中ゴムのお直しで還ってきました。
お帰りなさい。

しっかり常に腕にあったことは一目でわかります。
大事にされてきたんだね。
作りたての表情と全く異なって貫禄の出たこと!

白檀は表面の油が抜けるから、黒檀や紫檀などの唐木などの素材と違って、ちょっと気を遣う材料です。

丁寧に使い込んでいくと、愛着が出てきます。もっといい色になるよねぇ。

あるがまま

たまたまかけたテレビで流れていた。

子供名も自分の名すら忘れてしまった認知症の祖母が、唯一覚えていた夫への愛を歌にしたのだという。

唯一覚えているとしたら、もし僕なら誰を覚えているだろう・・・

同情心

同情心
過当競争の中で生き馬の目を抜く現代社会の中で何を青臭いと考える輩もいる。
現に何度も何度も耳にしてきたし戒めとして警告してくれた先輩もいた。

「情けは人の為ならず」

これを情けは人の為にならないんだと理解する者もいるというから驚きではある。

「教学相長ず」
礼記の一節にある言葉だが、教えつつ自らも共に学ぶという。まさに言って妙である。人を育てる教育の現場のみならず、労働力のみに派遣労働者を使い捨の駒にしか考えられない経営者に対する一喝する言葉でもある。
確かに真理だと思う。

相手のために尽くす行為に美徳を感じなくなる社会。
つまり1+1=2、1-1=0の人間関係の社会。
ぼくには信じられない。

人の心の奥底には、そんな関係ではいけないと排除する心が宿っていると経験値として持っている。

人に尽くすを粋に感じるのだ。

さらに言えば宗教心とは、その利他心の極地なのではないかと思う。

道に倒れている人を見れば自然体で救助に体が動く。
それが宗教心と思う。

隣人の涙の落つるを見れば、全ての持てるものをかなぐり捨てれるものが宗教心と思うのだ。
何も仏前でナムナムしているから信仰心、宗教心があると言うのではないと考える。

それぞれ信じる宗教の宗祖が歩んだ道を学べば誰もが同意を得てくれるだろう。
その心に表現の違いはあれど共通した心は感じるはずだ。

民衆の生老病死に心を痛めて道を求めたお釈迦様が今の時代に生きていたら、弘法大師が、最澄が、日蓮が、道元が・・・どう動かれただろうかと思うととても興味ある。

室生寺

知人の家から帰ろうと乗り込んだ東京メトロの車輌まるごと奈良の室生寺の観光案内電車と化していた。
何年前だろう・・・

ツーリングで出かけたのは。
数年後には全く縁のなかった今の仕事に就いたのだから、今拝見したら感動も違うだろうな。
と思いながら見送った。

アイシャルリターン

ここ最近懐かしいお客様が次々に現れる。
でも不思議と時間の経過は感じない。
「よく覚えていてくれましたね」と喜んでくださるのだが
作らせてもらった念珠や仏像を見れば、時間がワープするのだ。

以前は毎日何十通も手紙を書いていた。
お客様が帰った後すぐに、昼食の後に、仕事を終わらせた後に・・・
いつもお手紙セットは手放せないツールの一つ。そして住所録。筆。
筆も下手の横好きでこれもまた手放せなくなったツール。

一ヶ月の経費で一番使ったものは家賃の次に多かったのは通信費だった。
でもね自分で覚えられる人数って3000人がいいところ。
だからホテルマンのドアボーイの姿に感銘を受ける。
お客様の名と背景をとことん覚えている。

ああなりたいと思うけれど、なかなか難しい。
あのときのあれを買ってくださったあの人ですね。
あれであれしてで話が通じるようになってくるとあきまへん。

何はともあれ、懐かしいゲストが忘れないで十年以上経っていながら覚えていてくださるのは嬉しいものだ。