いただきました。何事も勉強です。


鐘ヶ淵最中です。

せっかくなので栞を読みました。

「元和元年(1615年)当時隅田川の辺りに普門院なる寺がありました。
同寺亀戸に移るとき、法具および梵鐘を船に積んで隅田川をわたろうとしたときに誤って沈没してしまいました。享保年間(1716~1737年)末に御徒衆数百人幾十筋の網をもってその鐘を引揚げようとしましたが水草が生い茂る中で龍頭光を発し網みな切れてついに及ばず、昔時は晴天風静かな日船にてその底見ると鐘がありありと見えたといわれ以来この地を鐘ケ淵と伝えられてきました。」

ん~~。なるほど。
100年間は間違いなく川底にあったんだ。

その普門院は?と調べてみるとこちらも亀戸にたしかに実在する。

おもしろい話だなあ。

まさかもうないでしょうね。

ちなみに「カネボウ」の名称はもともと「鐘淵紡績」つまりこの鐘ヶ淵が故郷ということなのだ。

届きました

ないんです。
どこ探しても。
以前はあっても廃盤になってしまっていて、手に入らないという。

華厳経・・・といえば、華厳宗かあ・・・

といえばお水取りで有名な、
というか、奈良の大仏。

東大寺。

ありがたいなあ。
すぐに送ってくれました。

子供と大人の境

成人年齢を18歳に引き下げる議論が起こっている。
荒れる成人式がこの時期よくニュースネタでながれる。
辟易する。ニュースとして流されるほうも流されるほう。
議論はその道の人に任せるとして、自分を振り返れば18歳にはすでに社会人になっていた。
当然、仕事場では大人として扱われた。
自分が未成人だなんて考えたこともなかったし、甘えは許されなかった。
技術屋として設計を間違えれば責任を取るのは当然のこと。
結果が出るまで徹夜仕事も当たり前に何ヶ月も続いた。

そうやって責任は取ってきた。

大人の中の未成年ではあったが当然のように酒も飲むし、煙草も公然と吸った。
「君はまだ未成年だよ」などとたしなめられたことなど一度もなかった。
だからこれで何で選挙権がないのか不思議でならなかった。

大学は夜通った。
当時は学生運動の末期。全学連の昼間の学生が二部の教室にまでオルグによく来た。
しかし、数名の学生を除いて、僕ら二部の学生は皆で総スカンした。
僕らは眠い眼をこすりながら仕事を終え、必死に机にかじりついていたのだ。
だから蔑視していたのだ。親のすねをかじりながら社会活動もないものだ。
社会も知らん子供が何を言っているのかと。

社会や仕事への責任という一線が、大人と子供の境のような気がした。