銘木の写経紙

左から、「桐」「杉」「檜」の順。

にじみもなくて書きやすい。
目止めをしているのだろうか。

和紙を裏打ちして思いのほかしっかりしている。
ちょっと薄めのケント紙くらいの硬さと弾力さはありそうだ。

せいろがん・・・昭和の記憶

朝、TON店長はおなかが下った。
たいへんな急降下ものだった。

お食事中の方がいらしたらごめんなさい。
そこで正露丸を久しぶりに薬箱の奥の方から探し出し飲むことにした。
鼻につく匂い。相変わらずのクレオソートの匂いだ。
若い人はもしかしたら呑むことなどできないのではないか・・・

考えると、正露丸は子供時代、手放せない存在だった。
なんてったって、昭和の時代の万能薬だったもの。

おなかが下れば正露丸。車や汽車酔いにも正露丸。
当時は寝冷えと言う言葉がまだよく使われていたような気もする。
(今はあまり耳にしないなあ)ちょっと調子がおかしければ、
「正露丸のんどきなー」
家庭の特効薬であり頼るべき存在だった。

胃腸のことは何がなんでも正露丸に行きつくことになっていた。
そのせいかこのクレオソートの独特の匂いがいつも生活の中に漂っていた。

ラッパのマークには大変お世話になった。

そのクレオソートが体に良くないのだとか、まことしやかな噂が流れた時期もあった。
けど、あの根拠はどうだったのだろうかな。

クレオソートの匂いにパブロフの犬(ブタ)状態のTON店長は、
匂いを嗅ぐだけで、おなかの中が固まりそうな気がするのだからたいしたものだと思う。

事実、もう調子はよくなりかけている。

それでもなお

20年来お付き合いのある問屋さんが閉店間際に飛び込んできた。
今日来店するとのアポイントもなかったからちょっと驚いた。
もっと驚いたのは、いつにもなく雄弁であって、切り口上であったことだった。

昭和一桁だし耳も遠くなったから声のでかいのは仕方ないにしても

「もう仕事辞める」
という。

80歳近い歳になって、仕事を受けるため人間関係を保つのに疲れたと言う。

「80歳近くて仕事ができると言うことはそれだけでも感謝でしょ。」
僕が言うと、知らん振りしている。

閉じた耳には届かなかった。

「でもここに来るとホッとするょ」

少し気を楽にして帰路に着いた。

いつか見た空

去年の暮れに足の骨を折った粗忽息子の足に埋っている金具をとるための再手術の打ち合わせに、朝一で赤羽の病院まで付き合わされた。

赤羽はやはり遠い。

半年振りの病院は8時の開始時間にも関わらず超満員状態でほぼ半日つぶれてしまった。

とにかく時間が有り余るだろうと、昨日買った船井幸雄の「資本主義の崩壊最終ラウンド」という本を持って行ったが、意に反して半分の時間は爆睡して過すことになってしまった。

8月の上旬に手術と決まって、愚息はため息を漏らしながら肩を落としていた。

きっとこんな心境かも・・・

二十年の重み

この像の下にはめ込まれている台車

二十年経つと硬質ゴムのタイヤもこうなるんだ・・・

どうりで・・・