瓜生岩子


お客様からいただいた。
「瓜生岩子を讃える会」という会があるのだそうだ。

浅草寺境内にはさまざまな神様、碑、塚が存在する。

一つ一つ時間の許す限り記録して回っているのだが
団十郎の暫の像の近くに、背を丸めた品のあるおばあちゃんの像がひっそりと建立されている。

誰の像だろうと長らく不思議がっていたのだが、銘板を読んでみると、福祉という概念も混沌としていた時代に、戊辰戦争において敵味方の区別なく傷病者の看護に当たり、明治の初頭日本の社会福祉の基を築いた方だった。

野口英代の母親シカをサポートしたのも瓜生岩子であったことは意外と知られていない。

日本のナイチンゲールとも呼ばれた。

http://www.city.kitakata.fukushima.jp/2064/6566/7202/007208.html

福祉やNPOの概念が発達した現在では考えられない時代に先駆的歩みをされた彼女の苦労は並大抵の苦労ではなかっただろう。

蟻の町の聖女といい
浅草はなんとも不思議な縁の町だろう・・・

浅草見附

日本橋から奥州街道を進み、神田川を渡る。

ここが浅草の玄関。
江戸時代にはここに関が設けられて江戸城警護のため取り締まっていたというわけである。

今は実に平和だ。


後ろの川が神田川。

これも・・・

ローソクです

「故人の好きだったものシリーズ」のひとつ。

ちょっと悪乗りの感もあるけれど・・・
大関より剣菱がいいなんて人はどうすりゃいいの?

ワインも出そうだし・・・

お寺的には、戒をうけている以上(戒名をもらっている)、棘のあるバラ、生魚、肉、ましてやお酒は仏前にあげるのはご法度のはず。

でもね、以前、文京区にある大本山の住職とお茶飲み話の中で、僕が仏前に供えてはいけないものを列挙したときのこと、

「何?供えちゃいけないって?
なに言ってるの。故人の欲していたものを真心こめて差上げる。こんな尊いことはないんだ。バラだろうが刺身だろうが何でもあげたらいいんだよ形にはまって大事なものを見落としちゃいけないよ」

って言われたことがフッと思い出された。

この風景は今しか見れない。


この位置から浅草寺本堂が確認できる。
いつもなら宝蔵門は見えても本堂は見えにくい。

本堂の瓦の吹き替えが行なわれているから、仮屋根がなんたってどでかい。
無骨な鉄骨の風景が丸二年続くのだ。