今回急に長崎に行きたくなった理由は二つ。
名陶工の源右衛門窯を確認したかったことと、観光地と言われているところがどんな町作りとしくみを作っているのか見ておきたかった事。
その合間を縫ってここだけは見ておきたかったのが亀山社中だった。
来年のNHK大河ドラマは阪本龍馬を放映すると言う。
すでに龍馬の故郷、高知は龍馬で賑わっていると聞く。
わずか二年間の亀山社中の活動舞台の長崎だが、龍馬が薩長の間で大きく転身した重要な時期でもある長崎時代。
来年はきっとフィーバーしてしまうだろうから、素朴な間に見ておきたいと思った。
町で「亀山社中はどちら」と聞いても、ピンと来ないようで、龍馬熱はさほどに感じられなかった。
案内板にも観光地図にもその名は記されていないのだもの。
地元観光課あたりがこれからどう街づくりをしていくのか、現状はどうなのかこれは楽しみだった。
宿泊のホテルから5系統のチンチン電車で一本。足の便はすこぶるよい。
新大工町で電車を降りた。
亀山社中はあの山の上。
「200段あるからね」ガイドの言葉が思い出された。
僕とて横浜育ち。坂が何たるかくらいいは知っている。
「亀山社中には観光客は行かんねー」との言葉もついでに思い出された。
「坂の多い長崎とて地元の人は好き好んでいかんと」
なるほど、時間も時間だが確かに観光客らしき姿は一人も見えない。
歴史の息吹もそれらしく深読みしてみないと伝わってこない。
でも僕には観光地化されていない生活の中に埋没している歴史がかえって素朴ですきなのだが。
新撰組ブームの時は壬生の屯所跡がやたら整備されて、がっかりしたことがあった。
神社の参道を通るので雰囲気はあるのだが、電車道から社中への上り口まではややもすれば方向音痴には試練だ。
文政年間の灯籠があった。
きっと龍馬たちを見てきたのだろう。
「おまえらどこさいくと?」
猫が聞いてきた。
「ちょっと亀山社中まで」
答えた。
「ご苦労なこったいにゃあ」
そんな問答を心の中でシュミレーションしながら先を急ぐ。
人懐こい猫が多い。
ここからのぼりが始まる。
龍馬たち社中のメンバーがこの鳥居を前に撮った写真が残っていたような記憶があるが。定かではない。
友人ご指摘の大ブーツもありました。
修学旅行の中学生らしき二人が明日の龍馬を夢見ていた。のかな。
社中跡あたりから望むの長崎市内はどれだけ変貌したのだろう。
この国は彼の願った姿になっているのだろうか。
またにゃ。
人懐こい猫供は気軽に話しかけてくれた。