薬師如来

根本中堂の薬師如来を模しましたがなかなか難しい。

白檀にてこさえました。

凝る

ほぼ毎日6キロ走っている。
もうすぐ丸2年になる。
上さんがあきれるほど続いている。

そうなのだ。
子供の頃から凝り出すと何処までも凝る。

車と昆虫が好きで、毎日図鑑を手放さなかった。
グリルの一部、ミラーの一部を見れば何年式の何という車とそらんじた。
はえに興味を示した時は、当時は犬の○ん○がそこいらじゅうに落ちていた時代であったのが幸いして、どんな種類のが集まるのか一日中観察していた。

そのうちお金に興味を示し、古銭マニアが複合した。そうなると読む本もかなりのものだと思うのだが読みこなしていた。、
駆けずり回って集めてはほくそ笑んでいる光景は何となく不気味さも感じる。今思えば。

思うところあって趣味には封印をしたが、自転車も7台持っていた。
毎週、遠出をしていた。峠が好きで富士山頂に担ぎ上げて山道を転がり落ちた。
毎日職場と自宅を28km通い続けた。思うところあってぱったりとストップした。
(最近封印は解いたが体がおぼつかなくなっているのが情けない)

そばを昼飯にすれば、何年も同じ店に通い盛りそばを食べ続ける。

やりだすと何処までも続ける。その自信はある。
それも自分の長所?であると思う。

けど、やめようと思えば、すっぱりやめられる。
やめるには止めるなりの大儀がなければならないのだけれど、心からそうだと理解すれば、次の日からさっぱりとやめられる。

それがいいのか悪いのか解らないけれど、割と感情をコントロールできる人間みたいだ。
人間関係でも同じことが言えるのだが。

この仕事も四半世紀。
職人家業と販売に足を突っ込んで、一向に飽きが来ない。
面白くてしかたがない。

勉強することは山ほどある。
技術的なこと、経営的なこと、学術的なこと
何より人的なことが大きい。

職人というのはややもするとお客様が見えなくなる。
勝手な想像をし、勝手なものを作り出す。
自分の世界に引き入れようとする。
それも一面必要な独りよがりの世界なのだと思う。
我の世界だと知っていて想像するならまだ救われる。

だから販売の現場、人と触れ合う場に絶対いなければいけないと思う。
しかも生半可にいるのでなく、人一倍積極的に。

人の喜怒哀楽の中に文化が込められていると信じるから。
ともに喜び、ともに怒し、とも泣き、笑う。
その感情の蓄積を創造の起爆剤にしたい。

そうした人の切れ目がないお店にいると
まだ暫くは、がんばれそうな気がしてくる。