仕事の関連で高知に出かけた。
いくつか有名な観光地を歩かせてもらった。
自分なりに盗み取りたいものがあって参加したのだが収穫は充分だった。
和蝋燭と漉き和紙を全面に押し立てて町おこしを行なっている地域を見学した。
昭和53年に歴史的保存事業の国の補助事業指定を受けて、
ちょうど、中仙道の妻籠宿のように街道に沿った民家を昔の状態に戻している。
景観を保持すると言うのは大変な仕事だと思う。
そこに住むものは、街道に面した部分には、好きに手を加えることはできない。
漆喰壁の連続する通りは、歩いているだけでも癒されるし、先人の知恵に驚かされることもしばしばだった。
六代も続くと言う古い和蝋燭の工房を覗き、説明を聞きめったに見られない櫨(はぜ)の実から取り出した原蝋を触ってみたり、最近はめっきり減ってしまった京都の町屋に似たつくりの土間伝いに坪庭があり、生活の場がその後ろに控えている鰻の寝床ように奥行きのある空間を楽しんでみたりといろいろ見学させてもらった。
その店を出、バスの乗り場へ急いでいると、とある店の店主が観光客相手に熱心に説明をしていた。
バスの出発時間も迫っていたこともあり素通りしても良かったのだが、立ち話が耳に入ってしまった。
「ここの町は和蝋燭なんてやっていなかったんだよ・・・」
「新参のものが古くからいるような顔をして・・・」
「観光会社もいい加減なことを」と言わんばかりにわざわざ、自分でこさえたのだろう、ちらしに、しかも、ご丁寧にラインマーカーまで施して、熱心に説明していたのだ。
よほど後から移動してきた産業(というほどのことか)が脚光を浴びることが腹にすえているという体なのだった。
代々同地点に店はなかったとしても、地場の産業として根付いたものだとすれば、それもありかな・・・
さらに言えば、事実、結果として観光客が増え、その恩恵はその店とて何らかうけているのであろうに・・・
何も知らない観光客に向かって、「これは違う。間違っている。」と、一人ひとりに口説いている姿には、一観光客としてきた自分には、そりゃあんた内輪の話を外来者に愚痴言ってどうするのと、懇切にお話ししても良かったけど、しかたないよね。時間もなかったし・・・
実にいい勉強をさせてもらった気がした。
ったがで帰り