昔、趣味で編集の仕事を手伝っていたことがある。
8ページのタブロイト紙のようなものだったがなかなか面白かった。
表紙をデザインしたりカットを書いたり絵の好きな僕にふさわしい仕事だった。
取材して文章を書かなくてはいけないはめになったときがあった。
作文のに苦手意識満タンな僕に何故?
何を書いたのかさっぱり覚えていないのだが、そのときの先輩のアドバイスは当時とても救いに満ちていたし新鮮に響いた。
「記事を書くときはね、表面だけを追ってちゃいけないんだよ。やぶにらみでもいいから、ちょっと斜に構えてみてごらん」
正直一本槍の自分の性格・・・
と聞こえはいいけれど、「それじゃあ物事の本質まで見られない、感じられないと言うことなんだよ」と言いたかったのだろう。
魅力のある記事は書けない。
若い頃から物事に詰まると、よく逆立ちをした。
当たり前のことだが、
天地がひっくり返って見える。
同じ場所、同じ人を相手にしていても、全く新鮮に見える。
新鮮だから、物事を慣習で考えなくなる。
常手を使わない。
「新しいぶどう酒は新しい皮袋に・・・」と聖書に書いてあるけれど
違った環境を人工的に作る僕的な方法なのだ。
これはとても大事なことだった。
ひっくり返してみる。
案外「あたりまえ」と思われている、いや思い込んでいるものの中に見過ごしているヒントが煌いている。
目が飛び出すんじゃないかと思えるくらい長い時間ひっくり返ってみようか・・・