水晶切子+茶水晶
TON青春の1ページ
TONにも若いときがあったのであります。
仲間でキャンプに行った時、テントごとで出し物をということになり、余興で何をやるか相談の結果、「年下の男の子」をやろうじゃないかと相成ったわけ。
キャンディーズが世に生まれた時から知ってはいたけれど、まさか振り付け指導を受けて自分が踊らされようとは思ってもみなかったわけで、そんなことがファンのきっかけだから、ずいぶんとなる。
とにかく解散以降も時を過ぎても色あせない姿に同世代の清酒の象徴があるというのはなんとも心強いものだった。
母親の世代が、美空ひばりや大川橋蔵を青春の偶像と見る向きもわかるし、そこに青春を重ねあわす気持ちも痛いくらい理解できる。
そうした意味では、スターと言うのは、本人には申し訳ないが、社会的責任が公私にかかわらず付いて回ると思える。
スーちゃんの病床でのメッセージを聞いて、心に沁みた。
自分の病床にあっても、他の不幸をわずかでもぬぐえる手段として自分を鼓舞しようとする情熱に頭が下る。
一ファンであったことと同時代をともに生きたというありがたさを感じさせられた。
以下がその全文。
「こんにちは、田中好子です。
きょうは3月29日、東日本大震災から2週間経ちました。
被災された皆様のことを思うと心が破裂するような、破裂するように痛み、ただただ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。
でもその時は必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。
それが私のつとめと思っています。今日お集まりいただいたみなさまにお礼を伝えたくて、このテープを託します。
キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。
幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝しています。
特に蘭さん、美樹さんありがとう。2人が大好きでした。
映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。
もっともっと女優を続けたかった。
お礼の言葉をいつまでもいつまでもみなさまに伝えたいのですが、息苦しくなってきました。
いつの日か、妹・夏目雅子のように、支えて下さった皆様に、社会に、少しでも恩返しできるように復活したいと思っています。
かずさんよろしくね。その日までさようなら。」
浅草のそら
ようやく
昨日に引き続き、久々に、
ようやく・・・
ようやくお客様にお買い上げいただく商品構成が戻ってきた。
昨日はお客様のことについて
今日はそのお客様がお買い求めいただくお品物についての話。
地震が起きてからというもの、丸一週間は日々片手で数えるほどの人数にご来店数が落ち込んだ。まてど暮らせど道を人が通らないのだから・・・
町に人影が見られなくなったのだから・・・
どうしようもない。手の内用がないとはこのことかと思った。
そこに追い討ちをかけるように計画停電が始まる。
当初は電車もストップしてしまうのだから、観光地に人が出るはずはない。
どうしようもない思いに至ったころ、ローソクがとにかく出始めた。
被災地に送るつもりで用意していたけれど、ローソクは使わないで下さいとマスコミでさかんに報道しているものだから、躊躇して出しそびれてしまった。
計画停電が解除されるまで、ほぼローソクの売り上げのみとなった。
ほかの商品にはまったく手も口も出ない。
用途はもちろん停電に備えての灯り用である。
実用品として一歩も出ない。
念珠の仕立も仏具の話も何も出ない。なんとも手持ち無沙汰。
ようやく先週辺りから、変化してきた。
宗教用具としての本来の商品に嗜好が移ってきたのは多少の光明が見えてきた。
でもね・・・
震災で流された被災地の映像の仲に泥だらけの仏壇の姿を見ると、今でも飛んで行きたい衝動に駆られるTONなのだ。
「おじいちゃんのお位牌がまだ見つからない」なんてインタビューを聞くと涙が出る。
おいらにできることはないのか・・・暗中模索の毎日だ。
浅草のそら
久々に
ようやく中国語を店内で耳にした。
3月11日の地震から43日目にして最初の一組だった。
いや二組・・・三組と中国の言葉が店内を席巻した。
地震後、殆どの外国人が退去してしまい、マスコミの発表では50%減とか、70%減とか・・・
そんな数字を発表していたが、いやいやそんな甘い数字ではなかった。
99%減。
あきらかに外人の姿は浅草の町中から消えた。
行きかう人は、みな東洋人の顔をした日本人ばかりとなった。
逆縁とでもいうのだろうか裸の浅草が僕ら浅草の人間に、こうだと突きつけられた形となった。
ここに来られる日本人の実数がよくわかった。
地震前は国際色豊かで、日本人かと思っても中国、台湾、韓国、ベトナム、シンガポール・・・もちろん西洋人は見間違うはずはないが、どれほど多かったことか、今にして思えば、たいへんなものだったとしか言いようがない。
地震、原発というフィルターがかけられたとたん、実相が見えてきて、いかに浅草が国際観光都市の一端をになっていたかをおかしなもので充分理解させてもらえた。
あって当然なんてなにもないんだ・・・
積み重ねがあって、努力があって、町も形成されてきた。
先人の苦労の上に、自分たちの生活が成り立っている。
今を教えられている気がする。
浅草のそら
ムクロジュ
古い玉と言うことだったが、ムクロジュの玉への羅漢彫りなど、めったに今はお目にかからない。
見難いけれど、しっかり羅漢が彫られている。
ムクロジュの実はさんざん扱ってきただけにあの薄い表皮に彫り込む難しさナカナカのものと拝察した。
ムクロジュは、釈尊生存中、マカダ国の国難にムクロジュの実108玉をつないで念珠とし、国民が一心に祈れば国難から免れると説いた功徳ある実。
浅草のそら