先月の地震で壊れてしまった仏壇を引取りに浅草5丁目(吉原に近い)までキャスターをコロコロ押しながら行ってきた。こういう目線に立つと車や自転車ではなかな見えない町が見えてくる。
お客様の家の近くで。
「ぞうさん」なんて読みそうになる。
これは以前はこの付近が象潟(きさかた)町と呼ばれていた名残なのである。その「象」であってけっしてぞうさんがいたわけではない。
浅草寺の北側に位置する由緒ある町名だった。
昭和39~41年の町名再編の嵐にあい、江戸時代から中にはさらに古い地名が消えた。
浅草猿若町、浅草馬道町、浅草七軒町、材木町、並木町、茶屋町、金杉町、光月町、龍泉寺町、黒門町・・・etc.etc.などなどなのである。
こんなところにしか古い歴史のある町名は残っていないのは実に寂しいものだと思う同時に「まだまだ!どっこい生きているぞ」と自己顕示しているようで、頼もしくもあるのだ。
話は逸れるが、僕の頭の中はロシアとソ連がごっちゃになっている。
青春期までロシアの国名はせいぜい日露戦争に登場するくらいで、「ロスケ」が・・・なんて口走るご老人たちには、今は「ソ連」ていうんだよと、いちいち突っかかっていた。
年寄りはこれだから・・・と、内心思いながら教えていたわけで、まさかまさか、使い慣れていたソ連の国名がロシアに戻ろうと誰が考えただろうか。
ソ連の崩壊時、わざわざ古い国名を持ち出そうとする国民感情には、その国名に民族のアイデンティティーがあり、血のルーツがあるのだろうと思えてならない。
その名の下に一つになろうとする国民感情があったのだろうと推察する。
町名に置き換えれば、故郷を愛する根底に郷里への同郷心があろう。
その名が生まれ、伝えられてきた歴史はいかんともしがたい。
何丁目何番地は識別の記号としてあっても、心のベクトルにはならない。
雷門二丁目と言われるより浅草材木町。浅草三丁目と言われるより浅草猿若町と読んだほうがぐっと来るもの。
国の名まで変わった時代なのだから、
町の名が元に戻るなどわけないではないか。
しかも由緒歴史ある名称が復活しておかしいはずなど。と思うのはTONだけではなかろう・・・