熊本にて
いよいよ台風の雰囲気です
こんな時間(PM4時近く)なのに、どんどんお店が閉めていく・・・
暗くなるなぁ・・・
広重の絵みたいに人々が雨を避けて走っていく。
転ばないでね(なら傘貸せよって・・・)
こういうときに店を開けている事が通りを明るくします。
がんばろう。っと。
首がないよ~
雲が低く垂れ込めていて、イメージがまったく異なりますね。
重々しい空気がよけい重々しい・・・・早いとこ光るなり、赤くなるなり何とかしてくれぃ。
浅草のそら
結ぶのも仕事だけど
写真は念珠製作の基本中の基本。
男結びと女結び。
時々捨ててしまう紐を取っておいて手慰みに遊ぶ。
軸編みも少しサボっていると、すぐに指が動かなくなる。
そんなわけで指を動かす・・・・てな訳でもないのだが、「結び」という作業が面白いのだ。
遊んでいると、指先と頭をうんと使うことになるので、もしかしたらぼけることも少なくなるかとも思うのだけれど、どういうものだろう。
時々、変則的な編み方を発見したりして、小さい事ながらも一人喜びに浸る。
直しのご依頼は、宣伝をするわけでもないのに、ひきも切らさずよくいただく。
片手の念珠では仕方ないけれど、紐房の場合の紐は切って捨てるのが惜しいとよく思う。
作業の効率を考えると、ざっぱざっぱと切ってしまい、使用する玉だけを取り出せばあとはお役御免と思えばよいことなのだけれど、浄土真宗の布教用数珠や振分けの紐房仕立てなんてふんだんに正絹紐を使用しているだけになんだかかわいそうになってしまう。モノに擬人化してしまう子供の頃からの癖は60を目前にしても止むことがないようだ。
直しを進めるには結んだものは、解かないといけない。
5年も10年も経ったものは、てこでも解けないように一見見える。
けど、何事にも弱点があるものなのだ。
その一箇所を突けばポロリと解ける。
そこも醍醐味ではある。
これも子供の頃からの特技で、糸がこんがらがって玉になってしまったものを、周りはぽいと捨てる。僕はそれを拾って解くのが好きだった。
途中でいらいらすることなどひとつもない。
訓練してきたと言えば、この歳まで長く訓練してきたこともない。
芸事だったら身を助けたかもしれない。
でも今の仕事に生きているのだから、妙なものだと思う。
浅草のそら