ありがとう・・・・

遠野の物語りをお話ししてくれましたね。

遠野弁で語られる物語は、母親の仙台バイリンガルで耳の慣れている僕でさえ30%の理解力だったです。

そもそもKさんとの出逢いがそんなお話からの出逢いでしたね。

お付き合いさせていただいてから20年近くたちました。

出征兵士の夫との別れの話しでは、二人して泣き出してしまい店内にいながら困ったものです。

しかし、泣くなと言うのは無理です。

だって、当時結婚と言っても顔も見たこともない相手と形だけの婚姻であり、おまけに祝言にも出征準備で妻だけの式。

それではあまりにも妹がかわいそうだとお兄さんが一時集合となる練兵場に連れて行ってくれたという。

遠目に「あの人だ」と指差す方向に夫となる方が偶然にも出会えた。
兄に促されて一言二言もじもじしながらの挨拶。それが帰らぬ人となった夫との最初で最後の出会い。

10代のKさんに戻って話してくださいましたね。

Kさんのおじいちゃんが大将時代に建立したお寺は岩手でも有名なお寺になっているけれど、Kさんが男の子だったら寺を継がせたのにと顔を見るたびに惜しがっていたおじいちゃんのお話し。

そのおじいちゃんに小さい頃から仏の供養について広い敷地に点在するお堂を巡りながら散々鍛えられてきた話し。

寺に寝泊りしなら小僧と同じ生活をしながら思春期を迎えたお話し。

お寺の本尊になる大木の切り出しの話し。

北海道の親戚の家を残すために北へ向かう話し。

北海道では馬二頭を操りながら農作をされていた話し、その腕を買われて全国の農業指導をされていた話し。

お坊さんにならない代わりに終生人助けに生きようとカイロの草分け的存在となった話し。

60歳を越えた齢にバス待ちの列を乱す傍若な若者を合気道でエイと投げ飛ばした武勇伝。

東京に来て数十年たつけど、遠野弁は健在でごめんなさい30%の理解力しかなくて。
でも充分伝わりましたよ。

80歳を越えてもリュックを背負い灼熱の夏も寒風吹く雪の日も文字通り走り回っていた姿は、冷暖房完備の店内にいながらもあくせくしているものにとっては脱帽でした。

140cmに満たないだろう本当に小さい体ながら、大男を投げ飛ばした話しに代表される正義感、毎月東大病院の解剖学を欠かしたことがなかった、時間があっればあらゆる本を真剣に読んでおられましたね。そんなパワーがどこに隠されているのだろうといつも教えられてきました。

もう90歳だったはずですよね。

Kさんまたいつか逢いましょう。

本当に、ほんとうにありがとうございました。