生メノーとオニキスの半装束ですが、白の菊房が一般的なところ
こういう色合いはバランスのよさを感じます。
懐かしい・・・
一体何年たったのだろう・・・・
店の倉庫は想い出の坩堝と化している。
と言うのも言いすぎだし、よほど整理整頓ができていないように受け止められてもいけないのだが、今まで活動してきた証拠品は、証拠品として残しておかないといけないと思っているだけの話しで、時代が埋もれている。
最小範囲で残して、あとは電子化するなりにしておこうと選別している。
どうだろう・・・出てくる出てくる・・・
小学校のタイムカプセルごっこは10年せいぜい20年で掘り出されることが多いと思うが、その域に達しているように思う代物も今回の捜索で数々掘り出された。
その中の一点となるが、讃祷歌の中国公演に合唱団の一員でついていったときの物だ。
川﨑大師の今は高橋隆天げいかを団長に恩師になる新堀智朝尼のお寺の詠唱団メンバーと西安、北京と回り、中国仏教会の重鎮の前でも歌わせてもらってきた。
何を歌ったのかきれいさっぱり忘却の彼方だったが、譜面を見るとあれよあれよと頭の中で3Dも真っ青、その光景それに当時の感動を添えた旋律が流れ出す。自動的というならばこれほどオートマチックなことはない。人とは不思議な器を与え備えられているものだと感嘆する。
もう二昔前の出来事になる。
みな故人になってしまった。
浅草のそら