当初の頃とても困ったのが経典のこと。
仏壇屋として仕事をしていると必要な経典はごく限られてくるのだけれど、人と同じことをしていたのでは、70軒が軒を連ねる浅草の土地ではとても生きていけない。
宗派のお勤め本を覚えておけば用が済むほど甘くはないのだ。
浄土真宗と余宗合わせて9種類か10種類の経典を覚えておけば本来良いところなのだけれど、お客様の質問にお答えしているうちに、「経典書庫」にあるような版元も驚くような10年に1回読んでもらえるかどうかわからないようなニッチな経典まで揃えることとなってしまって久しい。
一つの版元のレパートリーが揃ってくると、どこから耳にしたのか、お客様の方であそこの店にはニッチなお経が置いていると噂を聞きつけて、訪ねてくださるようになる。
おかしなもので、好むと好まざるとにかかわらず、経典の方から舞い込んでくるようにもなる。
だから僕の店の経典のレパートリーを見ると、
「ずいぶんマニアックですね・・・」
と専門職の方々も驚く。
まあ、仏像のレパートリーを見ていただくだけでも、それは言えてると思うのだが(歓喜天や大元帥明王なんて普通ないよね・・・)経典にしても石土経や下手をすると白衣観音経すら普通の店には置かないのだから。
お客様の要望で通常置いてある高王白衣観音経の版元ではないところのが欲しいということで先日一冊おとりした。
表題が同じでその版元でないとダメとは・・・
何がどう違うのだろうとチェックしたくなった。
こういう時は約得だなと思う。
違わないよね・・・
なーーんだ・・・・
すべて一緒じゃないの・・・。
ただね・・・
現代仮名遣いではないというところが違っていた。
う~~~む。
これは馴染みということが大きく左右してくるんだね。
読む方は慣れ親しんだ韻を踏むところに命を感じるのだ。
やはり・・・お経って生きているんだ。と思った。