オーダー一点
栴檀みかん玉に琥珀+翡翠+ブルーカルセドニー+淡水パール+オパール
という組み合わせです。
浅草のそら
今でも・・・
この図柄をぱっと見て、「100円玉だ」と思う人は、同世代。
昭和42年に今のデザインに刷新されるまで文字通り銀貨として巷に流通していた。
TONの好きなのはこのひとつ前の図柄が好きなのだが、甥の手元に行ってしまっている。
昭和39年がオリンピック記念貨に食われて発行枚数が少なかったこともあって希少価値がある。
ときどきこういうのを使用されるお客様がおられるので、もと古銭マニア小僧だった血が騒ぐ。
わざわざ両替に電車に乗って両替機のある繁華街まで出かけて10円玉、100円玉を袋にいっぱい入れてワクワク帰宅したものだった。近くの銀行で両替すればすむものを、そこまでの頭がなかったところが、小学生らしいと思って欲しい。
32年の100円も35年の50円も山と(そりゃオーバーだ)あったんだけどなぁ。。。
浅草のそら
浅草のそら
清水谷師の葬儀
今日は午前中、伝法院にて11月に御遷化された浅草寺貫主のお葬儀に参列させていただいた。
ほんとうに寒かった。けれど天気には恵まれた。
いつも明るく受け止めてくださった清水谷孝尚師らしさを肌で感じさせていただいた。
お頼みごとは最善を尽くしてお受けしてくださって、こちらが恐縮するような結果をいつも残してくださった。
ご生家にあたる長野の常楽寺にも何度か足を運ばせていただき、今は天台座主となられていらっしゃるお兄さまである半田孝淳師とも親しくさせていただいたのはいい思い出である。
今日は店を開けられる時間の全くない中だったゆえに、記帳するにとどめて、とんぼ返りの参列だった・・・。
大導師をお勤めされたのが半田先生だったと参列した近所の方に後で聞いて、後悔しきりだった。忙中閑は、ぼくの師匠の言葉だが、もっと「閑」すべきだったと後の祭りだった。
挨拶は叶わないまでも、お顔を拝んでおきたかった・・・
浅草のそら
今日も絵に描いたような青空です。
でも一つ山を越えれば雪雪雪。
フリーズドライみたいに乾燥した冷たい風が関東地方には吹いてその分景色はよく見えます。
ここがよければ何処かがたいへんな暮らしを強いられます。
くれぐれも犠牲者が出るような天候にはならないで欲しいな。。。
こういう作り方もありますよ
中国のお土産と思われる。
尺6寸の星月菩提樹。
これをどうするか・・・
9mm玉なので、本来なら27玉の片手念珠が良いだろうと思うけれど、10mmに満たない昔風に言えば3分玉だと27玉では小さくなりすぎてしまう。
なので、本連1連と31玉片手二連という作りにした。
中国ものなので玉穴が小さい。
しかたなく出来うる限り細いながらも丈夫な糸を通した。
漂白しているので色は均一。漂白物は腕輪には作りたくないのでホッとする。
中国のお土産ながらもこの玉の良かったところは、玉穴が真芯に空けられていたので、蛇ののたうちにはならなかったこと。
糸を通すと綺麗に玉が並ぶ。
加工が悪いと大変なことになっちゃいますからね・・・
糸通し終了。
あとは、編み込んで房をつければ終了。
浅草のそら
北も西も関東を除いてぐるりとこの冬最大の寒波とやらの影響で雪に見舞われているというのに東京のこの青空。
さすがに寒さだけは冷蔵庫ものだけど、雪が降らないだけまだましというものだ。
今年2月の大雪にはほとほと泣かされました。
こんな思いを雪国の人は日常茶飯事のことと受け入れているのだから・・・
雪の降らないありがたみを噛み締めて頑張らねばな・・・