走り禅

毎朝ここのところさぼらずに走っている。
さぼるといえば聞こえが悪いが、ヘルニアと古い?腰の骨の一部の骨折もちゆえに、気をつけながら・・・というのがより現状に即した表現ではないかと思う。
2009年の1月からだから9年続いていることになる。

東京なんやらとか、手賀沼なんやらだとか大会に出ようと思って走っているわけではないのでタイムを考えたことはない。
いや、ないというと嘘になる。

走り始めたころは、何キロを何分何秒と記録していたのだから。
6kmを25分で走ったのが最短で、30~35分でコンスタントに雨がふろうが、雪がふろうが一ヶ月休まず走っていた。月平均180kmのペースで走っていた。

初心者がそんな走り方をすれば悲鳴が上がるのも時間の問題。
案の定半年で、腰に来た。
そこではじめて病院でヘルニアと骨折が見つかったわけだ。

ランナーズハイというのも経験してしまうとそう言われても休めない。

10日もおとなしくして腰の痛みが引くと早速飛びだした。

腰にガードルを巻いたまま。

腰をかばうと、膝に来た。右膝に来て、左ひざに移って、また右に来て腰に来て・・・

と、こんな堂々巡りしているうちに、なんで走っているんだろうと考えてしまいだした。

・・・・・・

日が昇る暗闇の中、ひたひた自分の足音に呼応するように、脳波もひたひたS波を奏でる。
その波の中に時々ポン!とイメージがわくのだ。
なにやら考えようとしていても考えつかないイメージばかりなのだ。

書き留めておけば良いのだが、足を止めることができない(今は簡単に止めちゃうけど)。だからどんどん垂れ流しだった。その中でも二三のイメージだけはなんとか持ち帰る。

天台宗の十二年籠山行を満行された師と長く親しくさせていただていたが、行の最中のイメージをよく話してくださった。ふと思い出してなんだかよく似ていることに気がついた。
とても比較できるものではないけれどね・・・

そう・・・走ることで自分の中に何かを感得させてくれているんだなと思い当たったTONなのだ。。。

そうかぁ・・・自分にとって行みたいなものね。。。

どうりで走破後の締めは駒形堂で馬頭観音様へのお参りなのだから。

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