有るはないの実地。。。

「いつも有るはいつもない」を書いたのが先週の土曜日。

あって当然と考えることは人の傲慢だと自分なりの感じ方を書いたのだが、その夕刻早速といってよいのか、身を持って経験しなさいとの仏の勧めなのか、最近手に入れたばかりのミニベロに乗ってさっそうと近くまで所要を足しに出かける途中、早速、体を張って実証してしまった。

手に入れた時、自転車はやたらと重心が前にあるすこぶる乗りにくい代物だった。
出かける前に調整が必要だなぁと感じながらも、用を足すのはすぐ近くだからと工具を手にする億劫さを優先してそのまま未調整の自転車で出かけた。
で、前転半回転を演じてしまったのだ。

重心が前よりすぎの自転車は下り坂に弱い。
まして小さな車輪となれば・・・前転の危険はつきものと理解していたのに。。。

歩道から車道へ出たところに人を避けようとした。。。ところまでは覚えているのだが、あっという間に地面に顔面制動していた。

人がTONの横を避けてすり抜けているのを感じつつも気丈に起き上がり・・・実際は、手は痺れ、足はモツれ、声も発せられなかった。
転がっていた折れた前歯を拾い自転車を引きずるって歩道までたどり着くのがいかばかり長かったことか・・・

両手とも針で刺されるような痛み、滴り落ちる血をハンカチで抑えうずくまるしかなかった。

体の痛みもさる事ながら、見知らぬおっさんとは言えべしゃんとカエルのように車道の真ん中で潰れているおじさんを避けて通っていったアベックがいたことに・・・おじさんは心が痛んだ。

以前見たテレビの番組でどこかの国で交通事故でうずくまる人をなにも手助けしないで行き交う人のモラルの低さを嘆く番組があったが、どこか似ているな。この光景・・・。

なんで転がったんだろう・・・
なんで自転車なんてほっぽり出して逃げなかったんだろう・・・
そもそもなんであの道通ったんだろう・・・

とぐるぐる頭の中を駆け巡る。

若けりゃ、ひょいと後ろに飛んで転がるなんて考えられないのに・・・

ん?

有るはないって書いたばかりじゃん・・・

痺れる指でキーボードを打ち込みながら、ハタと感じたTONであった。。。

浅草のそら

大型台風に警戒とさんざん脅かされていたが・・・

夜中には熱帯性低気圧の通貨であっという間の風雨。

いつも有るはいつもない

昨日は、いろんなゲストに深く考えさせられることばかりだった。

その中でもとりわけ印象に残ったのがこんなことである。

念珠直しを持ち込まれた年配のご夫婦があった。

お二人共品がよく話し言葉にも心遣いを感じる丁寧な言葉だった。

有名寺院で求められたという金剛菩提樹の念珠は房もしっかりしているし、通し糸もまだまだ大丈夫。

「?」なぜ直すの?

と、疑問に想う心を見透かされたか

「指が曲がってしまってね、合掌したまま念珠の輪に手が入らないんだ」

たしかに薬指が鋭角に曲がって伸ばしようがないようで片手念珠の輪の中に合唱すると入らないだろう・・・

「玉を足して作り直しましょう」

ホッとひと安心されたようで、お付きの奥様に

「直せるようですよ。おかげさまで・・・」

ん?お陰様で?ずいぶん丁寧な御夫婦だと思った。よくよく尋ねてみた。

なんと奥様と思っていた女性は、浅草寺の行事に参加するために池袋から浅草行きのバスに乗った。
たまたま乗り合わせたバスの中でお客様の男性と念珠の話になったという。

念珠のことなので当店にお連れくださった。というわけだった。

浅草寺の行事まであと30分だという。

「池袋行きのバス停までご案内しますわ」と二人で帰られた。

今の時代にもこんな方がいらっしゃるのかと後ろ姿を見送った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

バリバリ、どすん。ぎしぎし。

商品の落ちる音だろう。ふと振り返ると電動車椅子が車幅ギリギリの通路でストップしていた。

「私は天台の僧だけど袈裟はあるか」
と聞いてこられた。

ただしくは、書いてこられた。

声帯を取られたのだろうか、小さいホワイトボードに筆書されて尋ねられた。

住職用は取り寄せになる旨を話し、急ぐならば法衣店があることを紹介した。

「そこに行きたい。道がわからない」
となり、地図をコピーし赤ペンでマーキングしながら説明した。

「ありがとう」

ホワイトボードにそう書き替えられた。
「どういたしまして」

低音のモーター音を響かせながら店を出ていこうとされた。

店前にはちょっとした段差がある。
先回りして、もしもに備えた。

手を貸すことは必ずしも良いことではないので脇について見守った。

無事着地。

再び先程のありがとうの書いてあるボードを振って大通りに向かわれた。

ふと3mも進んだあたりで車椅子は止まった。

ボードを出して「ありがとう」を白手袋で消し、何かしら書き始めた。

不審に思って近寄ると、気づかれないのか懸命に書き続けている。

「声が出ないので、お経を読めません」

言葉に詰まった・・・

ボードを振りながら白髪の電動車椅子の僧は何事もなかったかのように、器用に歩行者を避けながら走り去った。

残されたTONは固まった。

「ありがとう、さようなら」なら話の筋としてわかる。

最後の言葉はこの時点で何を意味したのだろう。

気をよくして本音を話したかったのだろうか・・・
身内ではないゆえに心の重荷のわずかでも理解してちょうだいと残されたのか・・・

健康というのは綱渡りよりも難しい。
綱から落ちかけると元に戻すために全身の筋肉を駆使してバランスを戻そうとする。

バランスが取れているときは、平気の平ざでスイスイ先に進むのに、一度バランスを失うと元に戻す苦労がいかばかりかを初めて気づく。

健康にしてもそう。。。
社会生活にしてもそう。。。
人間関係にしてもそう。。。

「有ってあたりまえは、なくても当たり前なのだ」と気づく。

有るは、無いのだ。

お二人共ほんとうにありがとうございました。

また気づかせてもらいました。

仕立替え

経典の仕立替えを久々にさせてもらいました。

右が通常の状態。

左が金襴表紙に作り替えました。

趣きありますね。

ちょっと早いですけど。。。

ちょっと早いですけど・・・

このTONちゃん日記、600万人目の閲覧も時間の問題となりました。

多い時で一日4000人少ない時でも1000人前後のご来店をいただいていつのまにか丸九年。

CGIで自作していた以前の日記も含めると、とうに大台は突破してしまいます。

これもご愛読の皆様のお陰様。と平身低頭感謝申し上げます。

本にしたら良いのにとのアドバイスもありますが、好き勝手なことを書き散らしているのでなんだかね・・・

心の変化、自分の年齢の変化に環境の変化に伴う?興味の対象の微妙な違い。
はおもしろいなぁと読み返してみて思います。

ただ、「浅草のそら」は定点観測としてはもうすぐ10年。

一時は気圧計も導入したりもしましたが、気圧計が故障(電池切れなのですが)してからは映像だけに逆戻り。

10年続ければ、これっていい資料だよなとひそかに思ってます。

東北大震災の3.11の朝も変わらず記録していますからね。

流行歌を聞くと当時の思いや風景が脳内に再現されると言いますが、TONにとってはそれに近い大事な思い出の栞になりつつあります。

まだまだ書きたいことは山ほどありますが、おいおいと書いていきたいなと思っています。

これからもTONちゃん日記、お付き合いの程をよろしくお願いしまーーーす。

600万回を踏んだ人ご連絡いただきたいなぁ・・・などと・・・