父母恩重経というお経

念珠堂が所属している全国宗教用具協同組合から送られてきた。

TONはこのお経は弱いのである。

苦手というのではない。まじめに読むと胸と目頭が熱くなってしまいすぎるのである。

何十年も前に仕事中、不用意に読み上げていると、その・・・なんというか涙が吹き出して止まらなくなり、実にバツが悪くなった出来事があった。

ご存知のように、「父母恩重経」は親子の縁を説いたものだ。

正式には仏説とつくが、偽経である。

お釈迦様から伝わったものというのではなく、仏教が中国に伝わったおり、お釈迦様ならこういう考えをなさるだろうとの意を汲んで創作された、中国生まれのお経ということになる。
儒教の考えるところが盛り込まれていて日本人の肌に合うように感じる。

正倉院の蔵書の中にすでに含まれているという。

そうした背景を考えることを横に置いて一度でも良いから、できれば毎日でも読み上げてもらいたいお経の一つだ。自分のことはさておいて・・・だが。

<略>
一切の善男子、善女人よ、父に慈恩有り、母に悲恩あり。そのゆえは、人のこの世に生まるるは、宿業を因として父母を縁とせり。父にあらざれば生ぜず、母にあらざれば育てられず、ここを以て氣を父の胤に稟けて形を母の胎に託す。此の因縁を以ての故に、悲母の子を想うこと世間に比(たぐ)いあることなく、其の恩未形に及べり。
始め胎に受けしより十月を経(ふ)るの間、行、住、座、臥ともに、もろもろの苦悩を受く。苦悩休む時なきが故に、常に好める飲食(おんじき)衣服(えぶく)を得るも、愛欲の念を生ぜず、唯だ一心に安く生産せんことを思う。

月満ち日足りて生産の時至れば業風吹きて之れを促し、骨節ことごとく痛み、汗膏(あせあぶら)ともに流れてその苦しみ耐えがたし。父も心身戦き(おののき)怖れて母と子を憂念し、諸親眷属(けんぞく)皆なことごとく苦悩す。既に生まれて草上に堕つれば、父母の喜び限りなきことなお貧女の如意珠を得たるが如し。その子聲(こえ)を発すれば、母も初めてこの世に生まれ出でたるが如し。

爾来(それより)母の懐を寝どことなし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情けを命となす。飢えたるとき食を需(もと)むるに母にあらざれば哺(くら)わず、渇けるとき飲料を索むるに母にあらざれば咽まず、寒きとき服を加うるに母にあらざれば着ず、暑いとき衣を攢(さ)るに母にあらざれば脱がず、母飢にあたるときも哺めるを吐きて子に食らわしめ、母寒きに苦しむ時も着たるを脱ぎて子に被らす。母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず、その闌車(らんしゃ)を離るるに及べば、十指の甲(つめ)の中に子の不浄を食ふ。計るに人々母の乳を飲むこと一百八十斛(こく)となす。
            
父母の恩重きこと天の極まり無きが如し。母、東西の隣里に雇われて、或いは水汲み、或い火焼き、或いは碓つき、或いはうす挽き、種々のことに服従して家に還るの時、未だ至らざるに、今や吾が子、吾が家に啼(な)き哭びて吾をこい慕はんと思い起こせば、胸さわぎ心驚き両乳流れ出て、忍び堪ゆること能わず。乃(すなわ)ち去りて家に還る。児遥に母の帰るをみて、闌車の中に在れば、即ち頭を動かしうなづきを弄し、外にあれば即ちはらばいして出で来りそらなきして母に向う・・・・<略>

少し長かったですが引用しました。

こうして書き写しているだけでも、幼少時代のTONの姿とダブってきてまさしく走馬灯。
片親だったことで人一倍親の寵愛を受けたのかもしれないが思い当たる節節だらけなのだ。

同時に自分が親になる側に立ち、子供を産み育てる中での情景が見事に浮かび上がってくるわけで、主客を交代しての目線で考えさせられる。

経はこのあと子供の成長とともに親子の(あくまでも子の側の不幸だが)隙間を謳うのである。

ちなみに斛は昔の容量の単位で一斛=180リットルということだから、180L/斛×180斛=32400リットル ということか・・・それほど血液(乳)を吸いつくしているわけだよね。

一度目を通してほしいな。