宗吾殿消える・・・

御徒町に用を足しての帰り道。必ず通る裏道には寺の軒が連なる。そんな風景を見ながらのんびり帰るのがいつものこと。国際通りを越えると都会の真ん中にありながら異風の建物に出くわす。始め見たときには古臭いお堂。よく生きながらえたものと感心したものだが、よく見れば歌舞伎役者たちの堂々たる名前の玉垣に囲まれ、その聖域が歌舞伎役者の庇護にあったことを物語るには十分過ぎる風情を残す。

宗吾殿といえば、千葉県にある宗吾霊堂を思い出されるが、江戸期にこの地にあった堀田家屋敷の跡地であることの縁(よすが)なのだ。

宗吾殿は、江戸時代の義民で知られる下総国佐倉公津村の農民惣五郎(宗吾)を供養する堂です。惣五郎は佐倉の農民(一説に名主)で、重税に苦しむ農民のために直訴を図り処刑されたものの、当時の佐倉藩主であった歴代の堀田家は惣五郎の霊を絶えず弔い、享和五年(1803)に宮川藩堀田家の屋敷地であった当地に建てられた霊堂が現存しているといいます。

昨日もしばらく通らなかったこの道を急ぎながらも風景を期待した。

大通りを渡り一区画目の角に・・・ない。

なにやらマンション建築中の覆いで囲まれていてお堂も庫裏も何もかもなくなっていた。

我が目を疑い、「あれ?道を間違えたかな」そんな思いを持ち周りをキョロキョロと眺めなおすが、どう考えてもここだ。「文化財にしても良いようなものなのになくすわけないよなぁ~」独り言を言いながらしかたなく店に帰った。

調べてみた。

間違いなかった。

けど・・・・

ストリートビューを開けてみると、確かにあった。2017.9。去年の9月には確かにあった。が、今はない。

古い話だが、2011年10月にたまたまここの持ち主にお会いしたことがあった。門も塀も3.11の地震の影響で崩れてしまい、途方にくれていると話してくださった。修理費を捻出するのもたいへんだとつぶやいていた。

これだけのものが個人で管理していたのかと初めて知ったわけで、尚更どうしているかと心にかけることが多くなった。

浅草宗吾殿の在りし日の姿
去年暮れの状況。足場パイプがめぐらされていて、なるほど解体準備だったんだなと今更気づく。

過去をさかのぼってみると、2011年の日記も残していた。

江戸の名残がまたひとつ消えた。

ここも・・・・

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