浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
喜びは力。
お直しで念珠を持ち込まれるお客様は、案外多い。
遠くから伝手を頼ってこられたり、あちこちの仏具店で断られ、たまたまうちを見つけ飛び込まれる方も多い。
長期間のお預かりを余儀なくされたり、高額だったり、新品を勧められたりで、ここもそうかなと思われつつあきらめ顔で尋ねられる。
手が空いているときは、その場で直す。
紐房や、本連の中通しくらいの直しなら、ガヤガヤした環境の中でもわけもない。以前は込み入った仕事もその場でこなしたけど、お客様の入店次第で中座しなければいけない小売の現場では、集中できないことが多い。なのでやめた。
ただ、他では1ヶ月かかるからと、うちの門を叩いてくださったのだから待たすわけには行かないじゃん。
「10分もかかっちゃいました」屈折した言い方だったかな・・・
「いや・・・ありがとう。父親の形見だったんだけど、母親の葬儀で出棺の時にパラパラと・・・」まだ法要は続けないといけない時に、念珠を必需品と考えていらっしゃる方には、なくてはならないもの。
喜びの顔。
ほんのちょっとしたことなんだけど力の元なんだよね。
浅草のそら
浅草のそら 子授けイチョウ
朔日は早朝の浅草寺境内掃除から始まる。
今朝は参加者が少なかったこともあって早々に終了。ただ、その合間にも観察は怠らない。ふと見上げると子供たちが小さい頃から遊び場にしていたイチョウの大木が青々とした両手を広げていて昇る太陽の光がシースルーの暖かさを目に訴えかけていた。「乳垂れイチョウ」とも「子授けイチョウ」とも呼ばれるお乳のようなコブがこの大樹の古さを物語っている。
実に立派な木だ。
が、反対側に回ってみると・・・・
いささか姿かたちはマイルドになった感はあるが木の内側部は黒く焦げたままとなっている。以前はこの祠の中に子供たちも自由に二人三人とかくれんぼをして手を真っ黒にしていた。
昭和二十年三月十日の大空襲で焼けた。当時の写真も見たことがあるが、もう死んでしまったのだろうかと思うほど焼け焦げていた。神社仏閣ににはイチョウの木が多いのは、火災からの延焼を防ぐのが目的と聞いたことがあるが、まさにそのようだった。残念なことに関東大震災でも免れた国宝の本堂も五重塔も焼け落ちてしまったのだが・・・・
生き証人のイチョウの大樹はこうして青々と茂り未来に言わざる言を伝えていくのだろう。