柳橋界隈てくてく

毎朝のラン、北に向かうのに少々飽きて、今朝は南に向かうことにした。浅草橋のあたりにあった浅草御門が江戸時代までは浅草の南域にあたり浅草橋から先がお江戸でござる。つまりここから北側が浅草と呼ばれる地域になる。

柳橋物語で知られる柳橋はここ神田川が隅田川に注ぐ最後の橋である。

花柳界の幕も降りてしまってはいるが、見番跡や柳橋芸者さんたちがお参りしたであろうお宮を見ながら走るのも乙なものである。

南行き朝ランの目的はここ東京慰霊堂。

小学生低学年の時に存在を知ってとにかく行きたかった。東京に住んでいの一番で尋ねた場所だけに思いも格別なものがある。とにかくきれいになりました。我が事のように嬉しい。

震災記念堂として建立された施設だけに、賽銭箱には「震」の文字が浮き彫りになっている。迂闊にも気づかなかった。

一里塚

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

とんちで有名な一休宗純禅師の狂雲集に収められた中の一句。

めでたいめでたいと門松を建てて正月を祝うのもいいけれど、着実に死にいく道の一里塚でもあるのだよと浮かれて足元を夢や忘れるなと言われているようだ。

正月の三が日京都の町中に髑髏(しゃれこうべ)をくくりつけた竹竿を持ちながら歩き回ったとか。。。

美形だ、醜いと騒ぐでない、皮一枚めくればもとは髑髏。

売上の高い低いに動じるな、一年通せば元の木阿弥。 TON作

物事に動じない不動の心で常に有りたい平成31年でありたいものです。

正月の雷門前です。

今朝も朝の6時には隅田川沿いを走っていたTONです。昨日とは打って変わって白鬚橋を回って帰る頃まで、ほぼ人のいない風景が楽しめました。今戸橋、待乳山聖天さんの角を西に折れて浅草神社、浅草寺に向かいました。7時を少し回っていたけどお参りには制約は受けないで済みました。やはりお参りは早朝に限ります。

朝の光が美しく写真を残しておきたかったけど、あいにく携帯を持たなかったので、残念なことをしました。明日も行くかな。。。

歩道の方がガラガラで急ぐ時は歩道の方が歩きやすいですね。

歩行者天国でのんびり歩けるのも、裏方に徹する人たちがいてくれるおかげと感謝です。

そういえば浅草警察の署長さんは機動隊出身の方が多かったっけ。。。親しみが湧くよ。

浅草のそら

行雲流水

文字通り行雲流水です。

それにしても鴨さん足が寒くないのかな。。。

初日の出を見たくて少し早めに走り始めましたが、南千住の公園で日の出を待っていると、ゆっくりゆっくり杖をついて歩くTONよりはるかに年下の男性がおられました。

それをかばうように息子が付き添い手を出さないようにつかず離れず、夜明け前の一番冷え込む中、親の歩行をジッと見つめる姿。胸が熱くなりました。

出来て当たり前。やって当たり前。あって当たり前・・・・。

いや違うんだ。

その光景はTONに、言葉を超えたことばで語りかけてくれました。

ここまで来たかいがあった。元旦の朝でした。