浅草のそら

二年前の今日の隅田川沿いはこんなに桜が散っていました。

今年はやはり寒いよね。

今年の桜の姿は枝先がバッサリ切り落とされていて、川に向かって伸びていておおらかに腕を広げていた樹相が、かわいそうにすっかり縮こまって見えてしまう。

ここまで切り落としていいのかなと思うほどだ。

スターシェイブというカットの片手念珠

カットの仕方に商標がついているので、この名称はこのカットにしか使えないのだとか。今までの切子をイメージすると、あれ?と思ってしまうほど手触りが良い。

全く切子を感じさせない触り心地なのだが、玉を見ると切子なのだ。

五色水晶の片手なので、そう五色それぞれ単色でも応用が効くということ。

片手でも良いが、肌触りが良い事を考えると腕輪のように肌に触れている時間の長い事を考えると最もふさわしいにのかもしれない。

そのうち、、、いや、近々腕輪も作ってみようかな。なんて思う。

浅草のそら 朝ランは東京慰霊堂

今日は3月10日。

と言えば、少なくとも東京都民ならば忘れることができない慰霊の日。

まだまだこんなに肌寒いその夜、下町一帯をB29の大編隊から投下された焼夷弾で10万人以上の非戦闘員が焼き殺された日である。江東区の知り合いのお寺の老師に伺ったことは町内に寺があることで、町内外のご遺体を境内に持ち込まれ うずたかく積み重ねられたという。その光景は忘れることができない。昨日のことのようだと言われた。一家全滅というのも珍しくなく、当然戦後のどさくさもありだれも引き取り手はなく、行き着く先は東京慰霊堂の納骨室に落ち着いてしまうわけだ。

慰霊堂の管理団体職員だった関根さんにはお世話になり、慰霊堂に伺うたびに納骨室に案内された。天井まで何段にも重ねられた白い瓶には緑町何番地誰々と言うように名前まではっきり書かれているお骨もあれば、本所何丁目辺り何遺体と大雑把な書き込みに遺体数が記入されたご遺体もあり、人知れず殉難されたことが歴然の白瓶もある。想像を張り巡らせる必要など全くない、超リアリズムの世界がそこには凝縮されている。

そのご遺志の線上に自分は置かれているだろうか?置いていないとしたらこの方々の犠牲はどこにつながるのだろうか。と考えさせられたのを何十年も前のことなのだけふっと思い出される。

子供の時にテレビのドキュメントで知ってから横網町はTONの心の原点になったのだ。

今日も大祭の準備に早朝から忙しそうに係りの方々が動き回っていてどこか雑然とした空気の慰霊堂前だった。

3.10鎮魂

近くの蔵の喫茶店ギャラリーエフでこういう催しを行いますから、来てね。と店のオーナーが訪ねてくれた。東京大空襲をダンスで鎮魂する。15年続いているという。すごいね。お店がすいていれば行ってみたい。

3.10は東京大空襲。3.11は大震災から8年目の鎮魂の日。と3月は忘れてはならないモニュメントが続く。町を歩いていても、走ってもそういう目で見つめている自分がいる。

そうだ。

明日の朝は両国に走ってこよう。横網町にお参りする目的の朝ランにしよう。