浅草のそら

ねっこ好きのTONは地上に見える壮大さより地下の部分に魅かれる。

10mを超える大きな街路樹でも1m角程度の窓が地面に開いていることが多い。この窓からどれだけ外界とつながっているのだろうかといつも思いながら通り過ぎる。

朝ジョグのコースにしている墨田川の両岸の桜も公園という名目のために樹木の際まで舗装が施されて人の通行に利している。さすが5mを超えるほどに成長してくるともう堪らず根っこが舗装部分を押し上げて生命の強さを示し出す。

大木には大木なりの言い訳があるはずだ。しかし人は構わず木の言い分を聞こうともせず大切な根っこの上を歩き固めていく。く、苦しい・・・・

実にアートだなと惚れ惚れし、足を留める。

気には気の理由(わけ)がある。直ぐな気持ちになって聞いてみたいよね。