墨田公園の土手の桜は近年大胆ほどの枝払いが行われていて、空を覆うように伸ばしていた桜の枝たちはものの見事に消えてしまった。
原因はアメリカシロヒトリなどの病虫害の影響のように聞き及ぶのだが、さすがに景観の変化はどこか今の時代を見透かしているようで、少しばかり物足りない。
恥ずかしながら、桜が桜としての美を感じさせてくれるのには、花の咲き誇りかたもあるが、ピンクの花弁に目を奪われて忘れがちなそれを装う土台となる、伸びやかな枝の姿が花以上に重要なことに、ようやく気がついた。庭師の兄ちゃん達には何を当たり前なことをと笑われるのがオチだろうが、心底、桜の枝っぷりが花以上に重要だということに気がついたのだ。
桜の花は綺麗さ。
けど目を釘付けにし頭の中を空っぽにしてくれるほどの感動を与えてくれるには、木の姿、樹相が乱れていては心に響くものが半減してしまう。
繊細なほどに伸びて空を覆い隠すほどの枝の乱様のなかに清楚な色が乗っていく美しさに目を奪われるのではないか。
枝どころか幹を切り落とされても健気に生きる努力をする桜たち。
根っこのさきはたぶん写真を撮ってる地点まで伸びているのだろうなぁ。
途中龍の背のような根っこの一部を地上に表し、さらに先へ先へと大地に深行していく。
なんだか感動した。