栄枯盛衰は世の常。
古い浅草寺境内の写真や錦絵を見ると、多くの人は勘違いを起こす。五重塔を基準に本堂の位置を想像すると北と南があべこべになって方向感覚がくるってしまう。
それもそのはず、五重塔の位置は今と参道をはさんで反対側に建っていたのだ。
樹齢から見ればそれなりの年輪をもつイチョウの古木。火災の類焼を抑える役目とは言え彼の大戦の災禍は古墨も容赦なく燃やした。子供の小さかった頃はよくかくれんぼをした。子供が二人くらいならスッポリ隠れられる。
寺の裏側に回ってもイチョウの木が守る。
けど国宝の本堂は浅草っ子の目の前で焼け落ちた。昭和20年3月10日。東京大空襲。
浅草神社の玉垣を読みながら歩を進めると当時の栄えが目に飛び込む。
栄枯盛衰の博物館。。。