浅草のそら  紀元節

我東を征ちしより茲に六年なり。皇天の威を賴りて、凶徒就戮さえき。邊の土未だ清まらず、餘の妖尚梗しといへども、中洲の地に復風塵無し。誠に皇都を恢廓めて、大壯を規り摹るべし。今運此の屯蒙に屬)ひ民の心朴素なり。巢に棲み穴に住む、習俗惟常となれり。夫大人の制を立つるは、義必時に隨ふ。茍も民に利きこと有らば、何ぞ聖の造に違はむ。且山林を披き拂ひ、宮室を經營りて恭みて寶位に臨みて元元を鎮むべし。上は天靈の國を授け給し德に答へ、下は皇孫の正しきを養ひ給し心を弘めむ。然して後に六合を兼ねて都を開き、八紘を掩ひて宇と為さむこと、亦可からずや。夫の畝傍山の東南の橿原の地を觀れば、蓋し國の墺區か。治らすべし。

これが我が国の建国の詔です。
戦後生まれのTONには辞書を片手に意味を調べないとちんぷんかんぷんだが、戦前の先輩たちはスラスラと暗唱できるのだろう。国の始まりを教えられていない今の教育現場ってなんだろうと思う。国の歴史を忘却した民族は滅びると著名な歴史学者が言う。その兆候が見られる昨今の日本はいずれニッポンになるのだろうか。