浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
牛島神社界隈
スカイツリーまでの道中は大手資本や自治体の手が入りすっかり変貌した。
東武電車の広大な基地のあったスカイツリーの敷地が今のように開発されようとはだれが想像できただろう。北十間川と隅田川との合流地点の枕橋からスカイツリーまでの電車の高架下はご存知であろうミズマチと名がつけられた商業施設となって枕橋あたりが昭和の頭まで東武の駅だった痕跡すら消えてしまった。
電車や車で通ったりすれば10分も満たない距離なのだけど、てくてく歩いてみると、ホーっと思わせてくれる歴史の痕跡を見せてくれる。
川の反対側(浅草側)に住んでいるとわざわざ牛島神社に詣でることもないのだけれど朝ブラブラの中でお参り方々覗いてみると、震撼とした社域は保たれているのに驚く。
貞観二年(860年)、慈覚大師の御神託により創建。というのだからなかなかの社歴である。
ご祭神は須佐之男命、天之穂日命、貞辰親王命
須佐之男命ばかりが目立つ。
浅草のそら
浅草のそら
東武電車が浅草駅を離れると郊外型電車に分不相応の急カーブを右にきる。旧橋が隅田川を渡る。そこは旧墨田公園駅跡。高架がスカイツリー駅過ぎまで続く。
ミズマチのすぐそばにある公園。そこがかつて水戸藩江戸下屋敷跡だったとは気がつくまい。
浅草そら
昔の話。
職場で自転車好きが集まりクラブランの例会。
上野駅から夜行を使って仲間同士の和気藹々の中では誰も眠ることもなかったが、乗り換え駅ホームに停車していた常盤東線の列車に早々に乗り込み、各自ごろ寝。寝たりなさを解消した頃到着した小野小町の故郷のひとつ小野新町から温泉を巡って勿来へ降りる途中、文字通り息を飲んだ。
阿武隈川だったか忘れた、渓谷にたなびく何百という鯉のぼり(昨今は比較的目にし易い光景だが)
広い川幅いっぱいを占領するように風にたなびくでかい鯉のぼりの群。渓谷を渡る川風は鯉たちを勢いよく泳がせる。そんな光景に度肝を抜かれたのは45年も前の話しだったか。。。